オランダに来てもうすぐ一カ月が経とうとしています。なんだか余裕がなくて、blogを全然書けずにいました。明日から4日間イギリスでBESに参加してきます。とりあえず、その前に、この一か月をまとめてみます。
まず、出国直前にrejectされた論文は12日後の8月19日に無事に別のjournalに投稿しました。8月中に投稿したかったもう一つの論文は今は大ボスの手元に。。。早く返ってきてほしいです。BESから帰ってきたら投稿します(希望)。もう一つの目標の次の論文は現在解析中。解析が思うようにうまくいかず(ベイズが回ってくれない)、今もofficeのパソコンは頑張ってます。短いiterationならばエラーがでないのに、パラメータが収束するくらい回すとエラーを吐き出します。つまり、パラメータが収束できないのでしょう。今日は結構いい感じに変更できたので、明日の朝、結果が楽しみです。この結果を23日にグループでpresentationして、帰国までに論文を形にするのが目標です。これは自分の中では、一番面白いテーマなので、色々とチャレンジしたい。
今日はちょっとD論の構成を再考していました。今まで考えていたものよりも、もうちょっときれいな形にできそうな気がします。ただ野望を捨て切れず、どこまでのデータをD論に含められるかが問題となってきました。今のところ、形になっている2本分に現在解析中の1本、そして、できれば、もう1本加えたい(2本は無理だろうな)。時間が足りない、そして頭も足りない。。。。あぁ、どうしてこんなにも要領が悪いのか、と嘆きながら、やるしかない状態へと追い込まれています。
ただ、そんなに疲れきっているわけでも、ストレスフルでもないので、楽しみながら進めていきたいと思います。初めてオランダに来たのが今年の2月1日で、それからもう半年が過ぎました。この半年はあっという間でしたが、本当に研究が楽しい、と思えるものでした。オランダで出会ったすべての人に、そして日本で支えてくれるすべての人に感謝したいです(学位を取得してから言うべき言葉ですが、笑)。
2010年9月6日月曜日
2010年8月9日月曜日
New life in the Netherlands starts again
昨夜オランダにつき、オランダ生活第2弾が始まりました。今日は日曜日なので、ゆっくりと過ごしました。飛行機から眠気がどんどんと襲ってきて、今日は昼までずっと寝てました。明日は大学に行きますが、まだカードも持ってないので、遅めに9時くらいに行く予定。
出発直前の夜中に初投稿論文がrejectされました。なんとなく上手くいくのではないかと高を括っていた自分が恥ずかしい。初投稿なので良く分からないのですが、referee 1からのコメントはA4で4枚分くらいあり、どこが分かりにくいのか、こうしたらどうか、ここはすごく面白いといった風にすごくpositiveな意見をいただきました。共著者にも転送したのですが、ボスからのコメントは"まあ、こんな出だしです。さまざまな方向から見直す・考え直す機会にしてください。細部の詰めがお粗末なままの投稿も印象を悪くするのだ、といういい勉強になったでしょ。校閲の方々にはずいぶんしっかり見ていただいたようだし、お礼の返事を出しておきましょう。"とのことでした。細部の詰めが甘いって分かってたんだったら教えてください(汗)、と思いつつも相変わらず、自分の仕事の杜撰さを思い知った次第です。コメントされたことを元にもう一度logicを考え直します。今月中には再投稿したいです。
もう一つの方のdraftは今共著者の方々の手元なので、そっちも今月中の投稿を目指して頑張ります。投稿することで、客観的なコメントがいただけるのは大変ありがたいことだと思いました。referees 1の人はイギリス英語だったので、イギリスの方かも知れませんが、本当に感謝したいです。自分もある程度書けるようになって、論文も出て、査読をするような立場になったら、この査読者のように査読できたら、と思います。
オランダは想像以上に寒いです。街ではみなさん半袖をきていますが、私には耐えられない。持ってきた服の寒くなったとき用のものをすでに着ないといけなさそうです。たぶん、10月には凍えているかもしれません。rejectをもらったけれども、結構positiveに次に行けそう。さぁ、明日からやるっきゃないですね。
出発直前の夜中に初投稿論文がrejectされました。なんとなく上手くいくのではないかと高を括っていた自分が恥ずかしい。初投稿なので良く分からないのですが、referee 1からのコメントはA4で4枚分くらいあり、どこが分かりにくいのか、こうしたらどうか、ここはすごく面白いといった風にすごくpositiveな意見をいただきました。共著者にも転送したのですが、ボスからのコメントは"まあ、こんな出だしです。さまざまな方向から見直す・考え直す機会にしてください。細部の詰めがお粗末なままの投稿も印象を悪くするのだ、といういい勉強になったでしょ。校閲の方々にはずいぶんしっかり見ていただいたようだし、お礼の返事を出しておきましょう。"とのことでした。細部の詰めが甘いって分かってたんだったら教えてください(汗)、と思いつつも相変わらず、自分の仕事の杜撰さを思い知った次第です。コメントされたことを元にもう一度logicを考え直します。今月中には再投稿したいです。
もう一つの方のdraftは今共著者の方々の手元なので、そっちも今月中の投稿を目指して頑張ります。投稿することで、客観的なコメントがいただけるのは大変ありがたいことだと思いました。referees 1の人はイギリス英語だったので、イギリスの方かも知れませんが、本当に感謝したいです。自分もある程度書けるようになって、論文も出て、査読をするような立場になったら、この査読者のように査読できたら、と思います。
オランダは想像以上に寒いです。街ではみなさん半袖をきていますが、私には耐えられない。持ってきた服の寒くなったとき用のものをすでに着ないといけなさそうです。たぶん、10月には凍えているかもしれません。rejectをもらったけれども、結構positiveに次に行けそう。さぁ、明日からやるっきゃないですね。
2010年7月30日金曜日
D論発表会 in July
一昨日あった季節外れのPhD defenceに顔を出しました。この日は残念ながら同じ時間に九大の数理生態のD1のT木くんのセミナーもかぶってたのですが、迷いながらもD論の方を聞きに行くことにしました。
内容は体サイズの類似した同属2種のコノハズクのニッチの違いについて。普通は同属の場合は体サイズに違いが出る事例が多いらしいのですが、沖縄では体サイズの類似した2種が同所的に生育しており、他の生態ニッチが異なることで共存できているという話。餌資源、営巣時期、営巣樹洞選択などのニッチの違いを各章に分けて話をしていましたが、ストーリ-全体からみると、基盤にあるのは餌資源に対する違いだけのように聞こえました。2種間にgeneralistとspecialistという違いがあるから、generalistは捕食の危険を避けるように営巣時期を早め、specialistは捕食圧を受けながらも餌資源である直翅目の生活史にあうように営巣時期を適応している。その結果、営巣時期が早いgeneralistはより大きな樹洞を選択することができる(体サイズもこちらの方が比較的大きいらしい)。一方、捕食圧の強いspecialistは残された比較的小さな樹洞の中でもより高い位置にあるものを選択する。ということだと勝手に理解しました。各ニッチ(?)を別々に説明していたのですが、餌資源のgeneralist, specialistという2軸を柱にまとめれるけど、そうすると結局1章分にしかならないから、3章に分けたのかもしれません。結局、より詳しい話は、2種がどのような地理的変異を示すのかということと進化的な背景を見てみないと説明できなさそう。
動物の研究は野外調査の難しさが問題だなぁ、と思いました。内容はすごく面白かったし、分かりやすかったです。厳しいことを言えば、背景で説明されていた世界各国で観察されている同属で体サイズが違うものやそうでないものの違いと今回の結果の考察が必要だったと思いました。ちょっと尻切れトンボ的な終わり方だったように思います。
あと半年で私もあの場所に立つのかぁ(立てるのか??)、と思いながら聞いていました。改めて感じたのがD論の話はやっぱり面白いということ。もっと色んな研究発表を聞きたいと思いました。
内容は体サイズの類似した同属2種のコノハズクのニッチの違いについて。普通は同属の場合は体サイズに違いが出る事例が多いらしいのですが、沖縄では体サイズの類似した2種が同所的に生育しており、他の生態ニッチが異なることで共存できているという話。餌資源、営巣時期、営巣樹洞選択などのニッチの違いを各章に分けて話をしていましたが、ストーリ-全体からみると、基盤にあるのは餌資源に対する違いだけのように聞こえました。2種間にgeneralistとspecialistという違いがあるから、generalistは捕食の危険を避けるように営巣時期を早め、specialistは捕食圧を受けながらも餌資源である直翅目の生活史にあうように営巣時期を適応している。その結果、営巣時期が早いgeneralistはより大きな樹洞を選択することができる(体サイズもこちらの方が比較的大きいらしい)。一方、捕食圧の強いspecialistは残された比較的小さな樹洞の中でもより高い位置にあるものを選択する。ということだと勝手に理解しました。各ニッチ(?)を別々に説明していたのですが、餌資源のgeneralist, specialistという2軸を柱にまとめれるけど、そうすると結局1章分にしかならないから、3章に分けたのかもしれません。結局、より詳しい話は、2種がどのような地理的変異を示すのかということと進化的な背景を見てみないと説明できなさそう。
動物の研究は野外調査の難しさが問題だなぁ、と思いました。内容はすごく面白かったし、分かりやすかったです。厳しいことを言えば、背景で説明されていた世界各国で観察されている同属で体サイズが違うものやそうでないものの違いと今回の結果の考察が必要だったと思いました。ちょっと尻切れトンボ的な終わり方だったように思います。
あと半年で私もあの場所に立つのかぁ(立てるのか??)、と思いながら聞いていました。改めて感じたのがD論の話はやっぱり面白いということ。もっと色んな研究発表を聞きたいと思いました。
2010年7月27日火曜日
ATBC2010 in Bali
帰国してから全然blogを書く余裕がなく、臨時セミナーの度に書こうとはするものの途中で止まってしまっていました。ということで、7/19-25までATBCに参加するためにBaliに行ってきました。初インドネシアです。
今回は楽しかったものの、波乱続きの学会となりました。
19日に夜中に到着するとビザの関係で長蛇の列が、、、やっとで終わりホテルに着くと、予約がないと言われ、30分ロビーで待ちぼうけ。。。偶然、受付であった愛媛大のK谷さんが心配して見に来てくれ、彼の部屋で待機。1時間後やっとで学会オーガナイザーが来て、部屋の話。Peter Ashtonと書かれた入れ物に入った鍵を受け取る(いいの??)。その後、K谷さんと彼の後輩で大阪市大のD2のH田くんと一緒に飲みに行き、部屋に戻ったのは2時半くらいでした。後日、K谷さんの話によるとPeterはやはり別のホテルに泊まっているとのこと。熱帯林のGodfather から私が部屋を奪った可能性が。。。(汗)。。。
二日目以降も色々とありましたが、会う人会う人みんな気さくで、楽しく過ごさせてもらいました。唯一悔やまれるのが、自分の発表に関してです。今回口頭から外されたため、意気消沈しながらポスターを作りました。1日ちょっとで作ったのですが、スペルミスが3か所。しかも、自分では気づかず、明らかに審査員らしき人に、指摘され、methodが下部に書いてあるということもよくないと言われました。我ながら杜撰だったことを反省しています。ポスター発表だと思ってなめていたことは否めない。でも、聞きに来てくれる人がいる以上最深の注意を払って全力を尽くせねばならなかったのに。完全に反省です。9月のBESで挽回します。
今回驚いたのはシンポジウムの質が高く、大変よくまとまっていたことです。専門外の興味のある内容
も勉強でき、大変ためになりました。同時に、最近のScienceやNatureに載った研究等も紹介されており、森林マクロ系も頑張ってるなぁ、と思いました。今はやりのphylogenyを取り扱った話がとても多く、自分の論文もこの辺を指摘されそうだとひしひしと感じました。
自分のやるべきことと立ち位置を確認するとても良い機会でした。やるぞぉ~という気力が湧いています!!あと2週間でオランダなので、さっさと論文書こうっと。
今回は楽しかったものの、波乱続きの学会となりました。
19日に夜中に到着するとビザの関係で長蛇の列が、、、やっとで終わりホテルに着くと、予約がないと言われ、30分ロビーで待ちぼうけ。。。偶然、受付であった愛媛大のK谷さんが心配して見に来てくれ、彼の部屋で待機。1時間後やっとで学会オーガナイザーが来て、部屋の話。Peter Ashtonと書かれた入れ物に入った鍵を受け取る(いいの??)。その後、K谷さんと彼の後輩で大阪市大のD2のH田くんと一緒に飲みに行き、部屋に戻ったのは2時半くらいでした。後日、K谷さんの話によるとPeterはやはり別のホテルに泊まっているとのこと。熱帯林のGodfather から私が部屋を奪った可能性が。。。(汗)。。。
二日目以降も色々とありましたが、会う人会う人みんな気さくで、楽しく過ごさせてもらいました。唯一悔やまれるのが、自分の発表に関してです。今回口頭から外されたため、意気消沈しながらポスターを作りました。1日ちょっとで作ったのですが、スペルミスが3か所。しかも、自分では気づかず、明らかに審査員らしき人に、指摘され、methodが下部に書いてあるということもよくないと言われました。我ながら杜撰だったことを反省しています。ポスター発表だと思ってなめていたことは否めない。でも、聞きに来てくれる人がいる以上最深の注意を払って全力を尽くせねばならなかったのに。完全に反省です。9月のBESで挽回します。
今回驚いたのはシンポジウムの質が高く、大変よくまとまっていたことです。専門外の興味のある内容
も勉強でき、大変ためになりました。同時に、最近のScienceやNatureに載った研究等も紹介されており、森林マクロ系も頑張ってるなぁ、と思いました。今はやりのphylogenyを取り扱った話がとても多く、自分の論文もこの辺を指摘されそうだとひしひしと感じました。
自分のやるべきことと立ち位置を確認するとても良い機会でした。やるぞぉ~という気力が湧いています!!あと2週間でオランダなので、さっさと論文書こうっと。
2010年6月23日水曜日
2010年6月15日火曜日
セミナーのあり方
毎週火曜日午前は講座セミナーである。今日はとても参加者が少なかった。ちょうどフィールドの時期でもあり、今日は天気もいい。だからと言って、教員7名、博士課程以上17名、修士課程9名の計33名の講座で講座セミナ-の参加者が7人にも満たないなんて、誰もおかしいと思わないのだろうか。発表者に失礼だと思わないのだろうか。考えてほしい人は参加していないから、状況がわかっていないのかもしれないが。
講座セミナーについて問いたい。
1.自分の発表さえすれば、ほかの人の発表を聞く必要はないのか。
2.調査や実験は、欠席や途中退席の正当な理由になるのか。
3.教員は気まぐれで参加すればいいのか。
4.一言も発言しない人は何のためにセミナーにでているのか。
学院のシステムが変更され、この講座には所属の異なる学生・教員が混在して在籍しているため、複雑な状況にあることは否めない。しかし、例えそうであっても、セミナーのあり方や存在意義は明確にすべきだろう。
D1, D2の二年間は講座セミナーとTrendyセミナーの世話役をした。その結果、私が感じたのは以下のことである。
学生主催のTrendyセミナーに関しては、「伝統として続いてきたものだから続けなければならない」、とか、「世話役が回ってきたからやらなければならない」、と思って続けるのであれば、やめてしまえばいい、と思った。学生主催のセミナーや研究会は、他の誰かのためではなく、自分自身が聞きたいから、学びたいから、という動機で行うのがいいのではないだろうか。世話役の2年間の大半は、何とかセミナーをよくしたい、みんなのモチベーションを挙げたい、参加者が少ないと講演者に失礼だ、ということを重視するあまり、セミナーから自分が何を得たいのかということを見失つつあったように思う。しかし、ここ1年くらいは、企画者が楽しめば、講演者も楽しめるし、興味のない発言しない人がいくら参加したところでセミナーが活性化するわけではない、と考えられるようになった。これを考えられるようになってから企画した今年2月末の合宿式の研究会は、私が今まで参加したセミナーの中で一番印象に残るものとなった。この研究会には、幅広い分野の人が”生態学”というキーワードのつながりだけで集まってくれた。セミナーの情報は広く共有した方がいい。そして、参加は本人の意思で決めるべきだろう。
しかし、講座セミナーは上記のセミナーや研究会とは別ものである。なぜなら、講座セミナーは大学院教育の一環だからである。世話役の学生が数人で頑張ったところで、大半の教員・学生が 作り出している雰囲気を変えることは難しい。オランダに行って気づいたのは、これは世話役の学生が解決できる問題ではない、ということである。オランダの滞在先の研究室セミナーは、院生の研究内容・発表スキルを向上させる場であった。教員が主催者であり、座長であり、学生の研究内容・スキルに対し、教員・他の学生が質問や問題点を議論する場であった。発表者も限られた発表時間内で如何に自分の研究を皆に伝えるか、を考えて準備してきていた。この点から考えると、立場の弱い流動的な学生が世話役をし、セミナーに関する教員の考えがうまく反映されないようなセミナーは、”教育”という観点ではとても脆弱なものに思える。なぜなら、参加者のモチベーションの高さが常にセミナーの雰囲気を作り上げる唯一の要素だからである。
講座セミナーについて問いたい。
1.自分の発表さえすれば、ほかの人の発表を聞く必要はないのか。
2.調査や実験は、欠席や途中退席の正当な理由になるのか。
3.教員は気まぐれで参加すればいいのか。
4.一言も発言しない人は何のためにセミナーにでているのか。
学院のシステムが変更され、この講座には所属の異なる学生・教員が混在して在籍しているため、複雑な状況にあることは否めない。しかし、例えそうであっても、セミナーのあり方や存在意義は明確にすべきだろう。
D1, D2の二年間は講座セミナーとTrendyセミナーの世話役をした。その結果、私が感じたのは以下のことである。
学生主催のTrendyセミナーに関しては、「伝統として続いてきたものだから続けなければならない」、とか、「世話役が回ってきたからやらなければならない」、と思って続けるのであれば、やめてしまえばいい、と思った。学生主催のセミナーや研究会は、他の誰かのためではなく、自分自身が聞きたいから、学びたいから、という動機で行うのがいいのではないだろうか。世話役の2年間の大半は、何とかセミナーをよくしたい、みんなのモチベーションを挙げたい、参加者が少ないと講演者に失礼だ、ということを重視するあまり、セミナーから自分が何を得たいのかということを見失つつあったように思う。しかし、ここ1年くらいは、企画者が楽しめば、講演者も楽しめるし、興味のない発言しない人がいくら参加したところでセミナーが活性化するわけではない、と考えられるようになった。これを考えられるようになってから企画した今年2月末の合宿式の研究会は、私が今まで参加したセミナーの中で一番印象に残るものとなった。この研究会には、幅広い分野の人が”生態学”というキーワードのつながりだけで集まってくれた。セミナーの情報は広く共有した方がいい。そして、参加は本人の意思で決めるべきだろう。
しかし、講座セミナーは上記のセミナーや研究会とは別ものである。なぜなら、講座セミナーは大学院教育の一環だからである。世話役の学生が数人で頑張ったところで、大半の教員・学生が 作り出している雰囲気を変えることは難しい。オランダに行って気づいたのは、これは世話役の学生が解決できる問題ではない、ということである。オランダの滞在先の研究室セミナーは、院生の研究内容・発表スキルを向上させる場であった。教員が主催者であり、座長であり、学生の研究内容・スキルに対し、教員・他の学生が質問や問題点を議論する場であった。発表者も限られた発表時間内で如何に自分の研究を皆に伝えるか、を考えて準備してきていた。この点から考えると、立場の弱い流動的な学生が世話役をし、セミナーに関する教員の考えがうまく反映されないようなセミナーは、”教育”という観点ではとても脆弱なものに思える。なぜなら、参加者のモチベーションの高さが常にセミナーの雰囲気を作り上げる唯一の要素だからである。
2010年6月7日月曜日
岐路
4日金曜から昨日月曜まで連休をとり、石川と東京、つくばに行ってきました。これまでずっと悩んでて、結論を出せずにいたことを片付けてきました。昨日、荒川区役所に離婚届を提出しました。
私は、結婚とか、家族とかいう言葉に対するあこがれが強かったように思う。一緒にいることが心地よすぎて互いに頼りきってしまっていて、いつの間にか自分の足で立てなくなっていた。一度トラブルが起これば、あとは、互いのせいにして、そのまま悪循環へとまっしぐらだったように思う。いつでも軌道修正はできたはずなのに、どこか安心していて、修正しようという努力を怠ってしまっていた。忙しい、なんて理由にならないはずなのに。お互いが自分のことで精一杯で、気持ちを伝えあうことを忘れてしまい、ズレた気持ちがどんどんとずれていってしまった。傷つけあうことが多くなってからは、ますます向き合うことをしなくなってしまった。これ以上傷つけあったはいけないと、お互いに気づいたときには、もう、十分すぎるくらいお互いに傷ついていた。浅はかだったと思う。パートナーを持って、一緒に家族としてやっていくことを甘くみていた。もっと日々の努力しなければいけなかったのに。
ここ二年間は軌道修正を試みていたが、物理的な距離と精神的な距離の両方が大きな壁となっていたように思う。オランダに行く前に決めたことは、私がDへ進むきっかけとなった論文を書いた二人としばらく一緒に研究をして、自分の研究の位置を確かめ、今後のことをどう考えるかをオランダの滞在中に決めようということだった。論文をsubmitすらできないこと、ずっと同じことを繰り返していて、面白さを失い始めていたこと、私生活が上手くいっていないことを抜け出すためには、何か行動をしなければならない、決断をしたい、と思っていた。オランダでの滞在は、今まで短いながらも5年間研究に携わってきた中でもっとも研究の面白さ、奥深さ、そして何をしても研究にしがみ付いていきたいと感じた時だった。正直に言って、オランダに行く前は、もし、ここで、自分に諦めがつけば、博士課程を途中で辞めてでも、東京に行き、軌道修正に全力を注ごうと思っていた。例え、修正できなくても、やれることはなんでもやろうと思っていた。こう書いていると1か0のどちらかしかないのか、中庸をとればいいと言われそうだが、そんなに器用な人ならば、こんな状況にはなっていなかっただろう。今後、どうなるかは分からないし、この先、今回の決断を間違いだったと思う日は来るかもしれない。それでも、先のことは誰にも分からないし、進めるだけ、踏ん張って、前に進みたいと思う。
言い訳がましいことをつらつらと書いたけれども、最後に、これまで私を支えてくれて、これまでの生活の中で感じたことのない幸せを与えてくれた夫に感謝したい。本当にこれまでありがとう。これからは会うどんな人とももっと向き合って互いを尊重し合えるように心がけたい。
私は、結婚とか、家族とかいう言葉に対するあこがれが強かったように思う。一緒にいることが心地よすぎて互いに頼りきってしまっていて、いつの間にか自分の足で立てなくなっていた。一度トラブルが起これば、あとは、互いのせいにして、そのまま悪循環へとまっしぐらだったように思う。いつでも軌道修正はできたはずなのに、どこか安心していて、修正しようという努力を怠ってしまっていた。忙しい、なんて理由にならないはずなのに。お互いが自分のことで精一杯で、気持ちを伝えあうことを忘れてしまい、ズレた気持ちがどんどんとずれていってしまった。傷つけあうことが多くなってからは、ますます向き合うことをしなくなってしまった。これ以上傷つけあったはいけないと、お互いに気づいたときには、もう、十分すぎるくらいお互いに傷ついていた。浅はかだったと思う。パートナーを持って、一緒に家族としてやっていくことを甘くみていた。もっと日々の努力しなければいけなかったのに。
ここ二年間は軌道修正を試みていたが、物理的な距離と精神的な距離の両方が大きな壁となっていたように思う。オランダに行く前に決めたことは、私がDへ進むきっかけとなった論文を書いた二人としばらく一緒に研究をして、自分の研究の位置を確かめ、今後のことをどう考えるかをオランダの滞在中に決めようということだった。論文をsubmitすらできないこと、ずっと同じことを繰り返していて、面白さを失い始めていたこと、私生活が上手くいっていないことを抜け出すためには、何か行動をしなければならない、決断をしたい、と思っていた。オランダでの滞在は、今まで短いながらも5年間研究に携わってきた中でもっとも研究の面白さ、奥深さ、そして何をしても研究にしがみ付いていきたいと感じた時だった。正直に言って、オランダに行く前は、もし、ここで、自分に諦めがつけば、博士課程を途中で辞めてでも、東京に行き、軌道修正に全力を注ごうと思っていた。例え、修正できなくても、やれることはなんでもやろうと思っていた。こう書いていると1か0のどちらかしかないのか、中庸をとればいいと言われそうだが、そんなに器用な人ならば、こんな状況にはなっていなかっただろう。今後、どうなるかは分からないし、この先、今回の決断を間違いだったと思う日は来るかもしれない。それでも、先のことは誰にも分からないし、進めるだけ、踏ん張って、前に進みたいと思う。
言い訳がましいことをつらつらと書いたけれども、最後に、これまで私を支えてくれて、これまでの生活の中で感じたことのない幸せを与えてくれた夫に感謝したい。本当にこれまでありがとう。これからは会うどんな人とももっと向き合って互いを尊重し合えるように心がけたい。
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