2013年8月19日月曜日

米国生活その後

ふと気づいてみれば、4月1日に本格的にこちらに移動してから、もう5か月が過ぎようとしている。受信箱に日本からのメールがいきなり少なくなったと思えば、お盆だったんだと気づく。こちらはあと1週間で、新学期が始まるので、皆が戻ってきて慌ただしくなると思う。私は、ちょうど木曜日の夜中に体調を崩し、丸3日ほど寝ていた。そこで、少し元気になってきたし、かといって、仕事をすると悪化しそうなので(←言い訳)、ブログを更新しようと思った。今回の体調悪化は、5月初めに中国から帰国する直前になった症状とよく似ていて、たぶん、冷えと胃が荒れたことによるものだと思う。今回ので、前回の体調不良が中国の食事などによるものでなかったことが分かったので、安心した(本当に安心していいのかはよくわからないけど)。ただ、以前から胃の調子が悪くなることはあったものの、今回の2回のような酷い症状にはなってなかったので、少し気を付けないといけないと思った。もともと冷え性なので、冷えにはより気を付けて対策して、あとは、空腹にコーヒーやお酒を流し込むのは控えようと思う。ミシガンはもうすでに朝と夜が冷える。日中は暑くなることもよくあるけど、一日で15度近く温度変化があったりするのでしんどい。極め付けに夏中辛かったのは、研究棟が冷蔵庫のように寒く、自分で調節不可能なところである。真夏は外と中の気温差が激しく、室内ではフリースを着て耐えていたのだけど、最近は外が涼しくなって少し油断してしまったんだと思う。あとは、研究が思うように進んでいないのが、ストレスになっていたのかもしれない。進んではいるのかもしれないけど、まだ成果になっているものが一つもなく(本当に成果になるのか不安なものもあり)、どれも中途半端で(それをできていないのは自分自身のせいでもあり)、少し根を詰めすぎたのが問題だったのかもしれない。何度か海外での生活をしてきて、自分自身に言い聞かせているのは、「思ったようにことが進まないのは仕方ない」、「オンとオフの切り替えはしっかりする」、「休みはしっかりとる」、「がんばらないと達成できない目標の8割の目標を作る」とごく当たり前のことなんだけど、私はある時を境に、ある限界がくると、突然体調に異常をきたしやすくなったので、海外では必要以上にそうしようと思っていた。でも、人間、2度、3度と繰り返すようで、今回もまた、やってしまった、と思った。そう思った時にはもう遅く、吐いて、一人でのた打ち回っていた。海外の一人暮らしでの体調悪化はやはりしんどい。ストレスがたまってるときの方が暴飲暴食になりやすいから、もうちょっと考えて自己管理しようと思う。とりあえず、冷え防止と胃腸の改善のためのサプリを飲み始めようと思う(一つは飲み始めた矢先に起こったんだけどね)。持続的に、効率的に、仕事をこなす、自分なりの方法を探るのがとりあえず1年目の目標なんだと改めて考えさせられる出来事でした。

2013年7月6日土曜日

行動するということ

以前から思っていたことをここに書きたいと思う。これを読んで不快に思う方は少なからずいると思う。以下の話は無知ゆえのただの戯言なので、気にしないでいただきたい。

これを書くきっかけとなったのは、ウナギの漁獲量の減少に関する多くの方のSNS(ツイッターやFB)での「もうウナギを食べません」という発言であった。 これはここ数日のことでなく、今年になってからよく耳にした(目にした、と言った方が正しいか)。私はこの発言に疑問を呈する。食べなければ、または、買わなければ、いなくなったウナギは戻ってくるのだろうか?ウナギを守ることにつながるのだろうか?まわり巡って、そうなる可能性がない、とは言わない。でも、その前に、真っ先に被害を受けるのは、小売業者、鰻屋といった人たちではないだろうか。彼らの生活のことを考える必要はないのだろうか。

「ウナギを食べない」という言葉を聞いたとき、私は、かつて、ある熱帯の島で見た日本人の保護活動グループのことを思い出した。彼らは、分断化された動物たちの生息地をつなげるために、土地を買い、森をつなげようとしていた。日本からボランティアで集まり、個体数が減少する動物たちの生息地を守ろうとする行動は称賛に値するだろう。そして、多くの日本人が、その美しい行動に賛同し、寄付をし、購入された土地は守られていく。では、購入された土地はいったいどんな土地だったのだろうか。私は正確な割合などは知らないが、その土地には現地住民が国から支給された焼畑用の土地を含んでいたと聞いた。そして、全体の土地のうちわずかな土地を焼畑農業のために残し、残りを購入したそうである。子供の教育などにすぐに現金が必要な現地住民の方々には寧ろ願ってもない話だったのかもしれない。しかし、残されたわずかな土地で持続的に伝統的な焼畑農業をすることは不可能だろう。国が支給した焼畑農業用の土地は守られるべきものではないのだろうか。現地住民たちの持続的な生活よりも、動物たちの生息地は重要なのだろうか。それらは比較できるものではない。正当な取引なのかもしれないが、完全に立場の違う人々の間に正当な取引など存在しないと、私は考える。何かを行動に移す時、利益とともに不利益も同時に考える必要がある。

今回のウナギの話と上記の話は違うと思われる人が多いかもしれないが、私には根底にあるものは同じように感じられた。自分自身の意見を持ち、行動するということはすばらしいことだと思う。自分だけでなく、次の世代、さらにその先まで思いやることは、簡単にできることではない。ウナギは守る必要がある。その通りだと思う。ただ、同時に、その美しい行為の裏側には、常に、不利益を被る人がいることを忘れないでいただきたい。あなたが今しようとしているその行動は本当に最善の方法なのだろうか。毎日を必死に生きている人たちの生活を脅かしてまで行うべき行動なのだろうか。流通システムや漁獲の制度を変えない限り、食べられずに残ったウナギは廃棄されるだけなのではないか。そうならば、それらを変えるための行動の方が効果的ではないだろうか。勿論、何が正しいのかなんて私には分からない。

2013年5月28日火曜日

米国ミシガン州立大学での新生活


年初め(終わり?)に書いてからすでに5か月も更新できずにいました。ご存じの方も多いと思いますが、4月1日から米国ミシガン州立大学にて海外特別研究員として2年間滞在することになりました。お近くにお寄りの際は是非お声をおかけください。

新生活とはいえ、昨年の10月から2月中旬まで滞在していたこともあり、2月の帰国直前にアパートの契約をしてから帰国できたので、突然何も知らないところに渡航することに比べれば簡単なスタートだったのだと思います。しかし、始めの1か月は個人的にはいっぱいいっぱいでした。5月初めに中国でワークショップをしたのですが、初めて5日間一人でteachingする、ということで精神的に結構圧迫されてました。終わってみれば、そんなに気を負う必要がなかったのだと気づくのですが、直前まではそういう風には考えることができませんでした。何事も経験が必要ですね。

1月末に補欠合格の知らせを受けてからは、特別研究員の辞退、DS2019の発行手続き、ビザの申請、学会、札幌から実家への引っ越し、渡米、中国でのワークショップ、友人宅からアパートへの引っ越し(契約開始が5月中旬だったため)と、立て続けにバタバタしていました。ビザなどの申請については結構危険なスケジュールでしたので、別にまとめれれば、と思っています。あと、ツイッターは諸事情により今は中断しています。このままやめるかもしれないし、突然復活するかもしれませんが、今のところは未定です。

そういえば、4月1日にこちらの空港についてメールをチェックしたところ、D論の3章目が無事受理されたお知らせを受けました。投稿から15か月だったので、とてもうれしかったです。また、初めての米国雑誌なので、米国滞在を歓迎されているような気がして(勘違い?)うれしかったです。現在、まだpreprintですが、online firstになったら再度お知らせします。

こちらではセメスターは終了し、もうすでに夏休みが始まっているのですが、私の研究計画はまだぶらついている感じが否めず(いつものこと)、結構不安です。ラボのメンバーはもうすぐ皆フィールドやヨーロッパへと旅立ってしまうので、それまでにある程度安定させられれば、と思っています。6月末にはコスタリカで行われるATBCの50周年大会で口頭発表をする予定です。中米は初めてなので、楽しみです。

とりあえず、当面の目標は、車の免許の取得と研究計画をしっかりさせることですね。



写真は中国最大の植物園 Xishuangbanna Tropical Botanical Garden (XTBG) で行ったTree Architecture Workshopのグループ写真です。5月8‐12日

2013年1月3日木曜日

2012年を振り返って

明けましておめでとうございます。

気がつけば、もう2013年です。歳をとると時間が過ぎるのが早く感じるようになる、とよく聞きますが、ここ数年は(もう6年以上前の)学部生だった頃よりも、毎日がゆっくり過ぎているように感じる出来事が多かったように思います。最近特に感じるのは涙腺が年々弱くなっているということで、映画などを見てもすぐに泣いてしまい、飛行機などでは結構気まずい思いをしています。ここ数年、辛いことが多く、もう、これ以上辛いことはないだろう、といつも思うのに、それを越えるような辛いことが起こる、ということがよくありました。もしかするとどんどんと敏感になっていってるだけかもしれません。ただ、辛さを感じることに敏感になるのと同時に、人の優しさや有難さも敏感に感じるようになりました。最近の私は、周りの人に恵まれていると、よく感じます。私のこれまでの人生を振り返ってみると、周りの人の協力なしに自分だけで成し遂げれたことなど何もない、と思えるほどです。それは、落ち着いて考えてみれば、はっきりと簡単にわかることなのに、近くにいることが当たり前になったり、自分の立ち位置が良く分からなくなると、見失ってしまうものだと思います。「一期一会」という言葉をよく耳にしますが、どのような人と接する時も、もうこの人と会うのは最後かもしれない、という気持ちで接しなければならない、のだと思います。昨年の私は、まだまだ子供で、多くの人を傷つけてしまいました。「一期一会」という言葉を見失わない様に、人と関わっていきたいと、反省しています。


今年はアメリカのミシガンで年越ししました。大晦日はホームパーティに呼んでもらい、MSUのPhDの学生たちと一緒に新年を迎えました。集まった家は、大きなリビングに暖炉のある家で、暖炉の前におかれたクラシックなアームチェアに座り、白い帽子をかぶり、2012年で一番素敵な出来事を交代で話しました。私にとって、2012年の一番素敵な出来事は、ここミシガンに来て、とても素敵な仲間たちに会え、同じ時間を共有できたことです。2011年から2012年への年越しは台湾の花蓮にいました。天候が悪かったり、研究室に学生がいなかったり、生活自体がしにくいなど、私のこれまでの海外での生活の中で、一番苦労した時期でした。しかし、MSUに来れたのは、その台湾にいた時に、今の受入教員であるNateが私の滞在先の研究室にセミナーに来たからです。それも、台湾にいる親戚を訪ねるついでのセミナーで、彼は奥さんが観光にでている半日だけラボに顔を出してくれたのでした。私の人生は、このような偶然的な人との繋がりの上で成り立っているのだと、よく感じます。たぶん相対的には、辛い時期もあり、また楽しい時期もあるのですが、それぞれが存在することで「今」があるのだと思います。今年は、その一つ一つを大切に、またその繋がりをしっかりと感じながら、生きていきたいと思っています。また、私との繋がりが誰かの人生の中で、その人の人生に少しでも、ほんの少しでも良いものとして繋がれれば、幸いだと思っています。

長々と取りとめなく書きましたが、今年30歳になるというのに、いつまでたっても子供の頃に自分が描いていたような「大人」にはなれそうもないです、笑。こんな中途半端な人間ですが、今年も一年、お付き合いいただければ幸いです。今年もよろしくお願いいたします。