2010年6月23日水曜日

岐路その後

名前が変わったわけですが、手続きがいっぱいあり、大変でした。まだ全部は完了してないのですが、このブログを見た方、風の噂で聞いた方から大変心温まる連絡をいただきました。本当にありがとうございます。

とりあえず、手続きと論文書きに追われているためか、たいして落ち込まずに日々を過ごしています。こんなもんなのかなぁ、と思いつつも、ふとこれからのことを考えてみたりもしています。

少しずつですが、自分の立ち位置を確かめながら、これからの自分を見つけていきたいです。

2010年6月15日火曜日

セミナーのあり方

毎週火曜日午前は講座セミナーである。今日はとても参加者が少なかった。ちょうどフィールドの時期でもあり、今日は天気もいい。だからと言って、教員7名、博士課程以上17名、修士課程9名の計33名の講座で講座セミナ-の参加者が7人にも満たないなんて、誰もおかしいと思わないのだろうか。発表者に失礼だと思わないのだろうか。考えてほしい人は参加していないから、状況がわかっていないのかもしれないが。

講座セミナーについて問いたい。
1.自分の発表さえすれば、ほかの人の発表を聞く必要はないのか。
2.調査や実験は、欠席や途中退席の正当な理由になるのか。
3.教員は気まぐれで参加すればいいのか。
4.一言も発言しない人は何のためにセミナーにでているのか。

学院のシステムが変更され、
この講座には所属の異なる学生・教員が混在して在籍しているため、複雑な状況にあることは否めない。しかし、例えそうであっても、セミナーのあり方や存在意義は明確にすべきだろう。

D1, D2の二年間は講座セミナーとTrendyセミナーの世話役をした。その結果、私が感じたのは以下のことである。

学生主催のTrendyセミナーに関しては、「伝統として続いてきたものだから続けなければならない」、とか、「世話役が回ってきたからやらなければならない」、と思って続けるのであれば、やめてしまえばいい、と思った。学生主催のセミナーや研究会は、他の誰かのためではなく、自分自身が聞きたいから、学びたいから、という動機で行うのがいいのではないだろうか。世話役の2年間の大半は、何とかセミナーをよくしたい、みんなのモチベーションを挙げたい、参加者が少ないと講演者に失礼だ、ということを重視するあまり、セミナーから自分が何を得たいのかということを見失つつあったように思う。しかし、ここ1年くらいは、企画者が楽しめば、講演者も楽しめるし、興味のない発言しない人がいくら参加したところで
セミナーが活性化するわけではない、と考えられるようになった。これを考えられるようになってから企画した今年2月末の合宿式の研究会は、私が今まで参加したセミナーの中で一番印象に残るものとなった。この研究会には、幅広い分野の人が”生態学”というキーワードのつながりだけで集まってくれた。セミナーの情報は広く共有した方がいい。そして、参加は本人の意思で決めるべきだろう。

しかし、講座セミナーは上記のセミナーや研究会とは別ものである。なぜなら、講座セミナーは大学院教育の一環だからである。世話役の学生が数人で頑張ったところで、大半の教員・学生が 作り出している雰囲気を変えることは難しい。オランダに行って気づいたのは、これは世話役の学生が解決できる問題ではない、ということである。オランダの滞在先の研究室セミナーは、院生の研究内容・発表スキルを向上させる場であった。教員が主催者であり、座長であり、学生の研究内容・スキルに対し、教員・他の学生が質問や問題点を議論する場であった。発表者も限られた発表時間内で如何に自分の研究を皆に伝えるか、を考えて準備してきていた。この点から考えると、立場の弱い流動的な学生が世話役をし、セミナーに関する教員の考えがうまく反映されないようなセミナーは、”教育”という観点ではとても脆弱なものに思える。なぜなら、参加者のモチベーションの高さが常にセミナーの雰囲気を作り上げる唯一の要素だからである。

2010年6月7日月曜日

岐路

4日金曜から昨日月曜まで連休をとり、石川と東京、つくばに行ってきました。これまでずっと悩んでて、結論を出せずにいたことを片付けてきました。昨日、荒川区役所に離婚届を提出しました。

私は、結婚とか、家族とかいう言葉に対するあこがれが強かったように思う。一緒にいることが心地よすぎて互いに頼りきってしまっていて、いつの間にか自分の足で立てなくなっていた。一度トラブルが起これば、あとは、互いのせいにして、そのまま悪循環へとまっしぐらだったように思う。いつでも軌道修正はできたはずなのに、どこか安心していて、修正しようという努力を怠ってしまっていた。忙しい、なんて理由にならないはずなのに。お互いが自分のことで精一杯で、気持ちを伝えあうことを忘れてしまい、ズレた気持ちがどんどんとずれていってしまった。傷つけあうことが多くなってからは、ますます向き合うことをしなくなってしまった。これ以上傷つけあったはいけないと、お互いに気づいたときには、もう、十分すぎるくらいお互いに傷ついていた。浅はかだったと思う。パートナーを持って、一緒に家族としてやっていくことを甘くみていた。もっと日々の努力しなければいけなかったのに。

ここ二年間は軌道修正を試みていたが、物理的な距離と精神的な距離の両方が大きな壁となっていたように思う。オランダに行く前に決めたことは、私がDへ進むきっかけとなった論文を書いた二人としばらく一緒に研究をして、自分の研究の位置を確かめ、今後のことをどう考えるかをオランダの滞在中に決めようということだった。論文をsubmitすらできないこと、ずっと同じことを繰り返していて、面白さを失い始めていたこと、私生活が上手くいっていないことを抜け出すためには、何か行動をしなければならない、決断をしたい、と思っていた。オランダでの滞在は、今まで短いながらも5年間研究に携わってきた中でもっとも研究の面白さ、奥深さ、そして何をしても研究にしがみ付いていきたいと感じた時だった。正直に言って、オランダに行く前は、もし、ここで、自分に諦めがつけば、博士課程を途中で辞めてでも、東京に行き、軌道修正に全力を注ごうと思っていた。例え、修正できなくても、やれることはなんでもやろうと思っていた。こう書いていると1か0のどちらかしかないのか、中庸をとればいいと言われそうだが、そんなに器用な人ならば、こんな状況にはなっていなかっただろう。今後、どうなるかは分からないし、この先、今回の決断を間違いだったと思う日は来るかもしれない。それでも、先のことは誰にも分からないし、進めるだけ、踏ん張って、前に進みたいと思う。

言い訳がましいことをつらつらと書いたけれども、最後に、これまで私を支えてくれて、これまでの生活の中で感じたことのない幸せを与えてくれた夫に感謝したい。本当にこれまでありがとう。これからは会うどんな人とももっと向き合って互いを尊重し合えるように心がけたい。