2010年12月31日金曜日

2010

ずっと更新できないまま、大晦日を迎えてしまいました。3月に学位取得することはかないませんでしたが、私生活も含め、今年は止まっていた多くのことが動いた年だと思います。主にやったことを書き出して振り返りたいと思います。

・オランダ渡航と共同研究(2月~5月、8月~10月)
・北海道若手生態学研究会企画(2月)
・離婚(6月)
・初投稿(6月)
・ATBC meeting 発表(インドネシア・バリ)
・投稿とリジェクト計4回(一応全部reviwerに回った)
・BES meeting 発表(イギリス・リーズ)
・査読(Journal of Ecology 9月, Forest Ecology and Management 12月)

こうやって書いてみると、結構がんばれたかもしれない、と思う。来年の目標はもちろん学位取得とPDです。

そういえば、友人たちから続々と学振のよいお知らせを受けました。皆さん良いお年を。

2010年11月2日火曜日

11月

気がついたら、帰国後2週間経ってました。10月中に終わらせたかったトドは終わらせませんでした。今週中にはと、思いながらも、この先どうなるのかが何となく不安なようで、睡眠不足と過食に悩まされている今日この頃です。

学振の結果が出た模様で、私は自分が結果を受け取れないことを(もちろん書類を提出していないので)、改めて実感していました。PDが凍結してしまったようですが、友人二人は保留90人には入れたようです。他にも海外学振に受かった等の喜ばしい知らせが届いています。来年は自分もそっちに入りたいです。

今日は研究室のゼミでした。人の研究にはいくらでもコメントできてしまう無責任な自分を発見しました。ゼミが終わって、席に戻って、論文を開くと、なんとも面白くない書き方だなぁ、とか、またrejectされそうだとか、negative思考が頭の中をぐるぐるとまわっています。早くこの負のサイクルを抜け出したいと思いつつ、じりじりと進めるしかないと思っています。

もうちょっとしたら、元気な話がかけるかもしれません。


2010年10月26日火曜日

帰国。。。

先週帰国しました。あっと言う間の2カ月半でした。すべてが怒涛のように過ぎて行きました。オランダでやったことをまとめると、最初の論文の再投稿、二本目の投稿、BESで発表、3本目のintroとresults。日本にいたらできなかっただろうな。。。

正直な話オランダがあまりにも心地よすぎて、帰国したくない、と嘆いていた(こっちに帰ってきたら、地獄のような日々が待っているのは分かってたし)。そしたら、overbookingで飛行機に乗れなかった。次の日にビジネスクラスで帰れたのでよかったのですが、言霊の存在を考えてしまった。

帰国後すぐにボスと今後の相談をした。だいぶ前向きな話だったが、その直後、嫌なことが重なり、不安な日々を過ごしている。いつも気楽なボスも心配中。悩みの種は再投稿論文。もう2カ月を超えるのに、返ってこない。この雑誌は1カ月半以内に返す、という、話なのだが、、、これの結果をみないことには、無理やり勢いで行くのかどうなのか、を決められない。(そうでなくても、やればいいのだけれども)

とりあえず、全然寝れなくなってしまった(今のところ5日目)。まぁ、やるしかないのだけど。

2010年9月6日月曜日

Passing about one month in the Netherlands

オランダに来てもうすぐ一カ月が経とうとしています。なんだか余裕がなくて、blogを全然書けずにいました。明日から4日間イギリスでBESに参加してきます。とりあえず、その前に、この一か月をまとめてみます。

まず、出国直前にrejectされた論文は12日後の8月19日に無事に別のjournalに投稿しました。8月中に投稿したかったもう一つの論文は今は大ボスの手元に。。。早く返ってきてほしいです。BESから帰ってきたら投稿します(希望)。もう一つの目標の次の論文は現在解析中。解析が思うようにうまくいかず(ベイズが回ってくれない)、今もofficeのパソコンは頑張ってます。短いiterationならばエラーがでないのに、パラメータが収束するくらい回すとエラーを吐き出します。つまり、パラメータが収束できないのでしょう。今日は結構いい感じに変更できたので、明日の朝、結果が楽しみです。この結果を23日にグループでpresentationして、帰国までに論文を形にするのが目標です。これは自分の中では、一番面白いテーマなので、色々とチャレンジしたい。

今日はちょっとD論の構成を再考していました。今まで考えていたものよりも、もうちょっときれいな形にできそうな気がします。ただ野望を捨て切れず、どこまでのデータをD論に含められるかが問題となってきました。今のところ、形になっている2本分に現在解析中の1本、そして、できれば、もう1本加えたい(2本は無理だろうな)。時間が足りない、そして頭も足りない。。。。あぁ、どうしてこんなにも要領が悪いのか、と嘆きながら、やるしかない状態へと追い込まれています。

ただ、そんなに疲れきっているわけでも、ストレスフルでもないので、楽しみながら進めていきたいと思います。初めてオランダに来たのが今年の2月1日で、それからもう半年が過ぎました。この半年はあっという間でしたが、本当に研究が楽しい、と思えるものでした。オランダで出会ったすべての人に、そして日本で支えてくれるすべての人に感謝したいです(学位を取得してから言うべき言葉ですが、笑)。

2010年8月9日月曜日

New life in the Netherlands starts again

昨夜オランダにつき、オランダ生活第2弾が始まりました。今日は日曜日なので、ゆっくりと過ごしました。飛行機から眠気がどんどんと襲ってきて、今日は昼までずっと寝てました。明日は大学に行きますが、まだカードも持ってないので、遅めに9時くらいに行く予定。

出発直前の夜中に初投稿論文がrejectされました。なんとなく上手くいくのではないかと高を括っていた自分が恥ずかしい。初投稿なので良く分からないのですが、referee 1からのコメントはA4で4枚分くらいあり、どこが分かりにくいのか、こうしたらどうか、ここはすごく面白いといった風にすごくpositiveな意見をいただきました。共著者にも転送したのですが、ボスからのコメントは"まあ、こんな出だしです。さまざまな方向から見直す・考え直す機会にしてください。細部の詰めがお粗末なままの投稿も印象を悪くするのだ、といういい勉強になったでしょ。校閲の方々にはずいぶんしっかり見ていただいたようだし、お礼の返事を出しておきましょう。"とのことでした。細部の詰めが甘いって分かってたんだったら教えてください(汗)、と思いつつも相変わらず、自分の仕事の杜撰さを思い知った次第です。コメントされたことを元にもう一度logicを考え直します。今月中には再投稿したいです。

もう一つの方のdraftは今共著者の方々の手元なので、そっちも今月中の投稿を目指して頑張ります。投稿することで、客観的なコメントがいただけるのは大変ありがたいことだと思いました。referees 1の人はイギリス英語だったので、イギリスの方かも知れませんが、本当に感謝したいです。自分もある程度書けるようになって、論文も出て、査読をするような立場になったら、この査読者のように査読できたら、と思います。

オランダは想像以上に寒いです。街ではみなさん半袖をきていますが、私には耐えられない。持ってきた服の寒くなったとき用のものをすでに着ないといけなさそうです。たぶん、10月には凍えているかもしれません。rejectをもらったけれども、結構positiveに次に行けそう。さぁ、明日からやるっきゃないですね。

2010年7月30日金曜日

D論発表会 in July

一昨日あった季節外れのPhD defenceに顔を出しました。この日は残念ながら同じ時間に九大の数理生態のD1のT木くんのセミナーもかぶってたのですが、迷いながらもD論の方を聞きに行くことにしました。

内容は体サイズの類似した同属2種のコノハズクのニッチの違いについて。普通は同属の場合は体サイズに違いが出る事例が多いらしいのですが、沖縄では体サイズの類似した2種が同所的に生育しており、他の生態ニッチが異なることで共存できているという話。餌資源、営巣時期、営巣樹洞選択などのニッチの違いを各章に分けて話をしていましたが、ストーリ-全体からみると、基盤にあるのは餌資源に対する違いだけのように聞こえました。2種間にgeneralistとspecialistという違いがあるから、generalistは捕食の危険を避けるように営巣時期を早め、specialistは捕食圧を受けながらも餌資源である直翅目の生活史にあうように営巣時期を適応している。その結果、営巣時期が早いgeneralistはより大きな樹洞を選択することができる(体サイズもこちらの方が比較的大きいらしい)。一方、捕食圧の強いspecialistは残された比較的小さな樹洞の中でもより高い位置にあるものを選択する。ということだと勝手に理解しました。各ニッチ(?)を別々に説明していたのですが、餌資源のgeneralist, specialistという2軸を柱にまとめれるけど、そうすると結局1章分にしかならないから、3章に分けたのかもしれません。結局、より詳しい話は、2種がどのような地理的変異を示すのかということと進化的な背景を見てみないと説明できなさそう。

動物の研究は野外調査の難しさが問題だなぁ、と思いました。内容はすごく面白かったし、分かりやすかったです。厳しいことを言えば、背景で説明されていた世界各国で観察されている同属で体サイズが違うものやそうでないものの違いと今回の結果の考察が必要だったと思いました。ちょっと尻切れトンボ的な終わり方だったように思います。

あと半年で私もあの場所に立つのかぁ(立てるのか??)、と思いながら聞いていました。改めて感じたのがD論の話はやっぱり面白いということ。もっと色んな研究発表を聞きたいと思いました。

2010年7月27日火曜日

ATBC2010 in Bali

帰国してから全然blogを書く余裕がなく、臨時セミナーの度に書こうとはするものの途中で止まってしまっていました。ということで、7/19-25までATBCに参加するためにBaliに行ってきました。初インドネシアです。

今回は楽しかったものの、波乱続きの学会となりました。
19日に夜中に到着するとビザの関係で長蛇の列が、、、やっとで終わりホテルに着くと、予約がないと言われ、30分ロビーで待ちぼうけ。。。偶然、受付であった愛媛大のK谷さんが心配して見に来てくれ、彼の部屋で待機。1時間後やっとで学会オーガナイザーが来て、部屋の話。Peter Ashtonと書かれた入れ物に入った鍵を受け取る(いいの??)。その後、K谷さんと彼の後輩で大阪市大のD2のH田くんと一緒に飲みに行き、部屋に戻ったのは2時半くらいでした。後日、K谷さんの話によるとPeterはやはり別のホテルに泊まっているとのこと。
熱帯林のGodfather から私が部屋を奪った可能性が。。。(汗)。。。

二日目以降も色々とありましたが、会う人会う人みんな気さくで、楽しく過ごさせてもらいました。唯一悔やまれるのが、自分の発表に関してです。今回口頭から外されたため、意気消沈しながらポスターを作りました。1日ちょっとで作ったのですが、スペルミスが3か所。しかも、自分では気づかず、明らかに審査員らしき人に、指摘され、methodが下部に書いてあるということもよくないと言われました。我ながら杜撰だったことを反省しています。ポスター発表だと思ってなめていたことは否めない。でも、聞きに来てくれる人がいる以上最深の注意を払って全力を尽くせねばならなかったのに。完全に反省です。9月のBESで挽回します。

今回驚いたのはシンポジウムの質が高く、大変よくまとまっていたことです。専門外の興味のある内容
も勉強でき、大変ためになりました。同時に、最近のScienceやNatureに載った研究等も紹介されており、森林マクロ系も頑張ってるなぁ、と思いました。今はやりのphylogenyを取り扱った話がとても多く、自分の論文もこの辺を指摘されそうだとひしひしと感じました。

自分のやるべきことと立ち位置を確認するとても良い機会でした。やるぞぉ~という気力が湧いています!!あと2週間でオランダなので、さっさと論文書こうっと。

2010年6月23日水曜日

岐路その後

名前が変わったわけですが、手続きがいっぱいあり、大変でした。まだ全部は完了してないのですが、このブログを見た方、風の噂で聞いた方から大変心温まる連絡をいただきました。本当にありがとうございます。

とりあえず、手続きと論文書きに追われているためか、たいして落ち込まずに日々を過ごしています。こんなもんなのかなぁ、と思いつつも、ふとこれからのことを考えてみたりもしています。

少しずつですが、自分の立ち位置を確かめながら、これからの自分を見つけていきたいです。

2010年6月15日火曜日

セミナーのあり方

毎週火曜日午前は講座セミナーである。今日はとても参加者が少なかった。ちょうどフィールドの時期でもあり、今日は天気もいい。だからと言って、教員7名、博士課程以上17名、修士課程9名の計33名の講座で講座セミナ-の参加者が7人にも満たないなんて、誰もおかしいと思わないのだろうか。発表者に失礼だと思わないのだろうか。考えてほしい人は参加していないから、状況がわかっていないのかもしれないが。

講座セミナーについて問いたい。
1.自分の発表さえすれば、ほかの人の発表を聞く必要はないのか。
2.調査や実験は、欠席や途中退席の正当な理由になるのか。
3.教員は気まぐれで参加すればいいのか。
4.一言も発言しない人は何のためにセミナーにでているのか。

学院のシステムが変更され、
この講座には所属の異なる学生・教員が混在して在籍しているため、複雑な状況にあることは否めない。しかし、例えそうであっても、セミナーのあり方や存在意義は明確にすべきだろう。

D1, D2の二年間は講座セミナーとTrendyセミナーの世話役をした。その結果、私が感じたのは以下のことである。

学生主催のTrendyセミナーに関しては、「伝統として続いてきたものだから続けなければならない」、とか、「世話役が回ってきたからやらなければならない」、と思って続けるのであれば、やめてしまえばいい、と思った。学生主催のセミナーや研究会は、他の誰かのためではなく、自分自身が聞きたいから、学びたいから、という動機で行うのがいいのではないだろうか。世話役の2年間の大半は、何とかセミナーをよくしたい、みんなのモチベーションを挙げたい、参加者が少ないと講演者に失礼だ、ということを重視するあまり、セミナーから自分が何を得たいのかということを見失つつあったように思う。しかし、ここ1年くらいは、企画者が楽しめば、講演者も楽しめるし、興味のない発言しない人がいくら参加したところで
セミナーが活性化するわけではない、と考えられるようになった。これを考えられるようになってから企画した今年2月末の合宿式の研究会は、私が今まで参加したセミナーの中で一番印象に残るものとなった。この研究会には、幅広い分野の人が”生態学”というキーワードのつながりだけで集まってくれた。セミナーの情報は広く共有した方がいい。そして、参加は本人の意思で決めるべきだろう。

しかし、講座セミナーは上記のセミナーや研究会とは別ものである。なぜなら、講座セミナーは大学院教育の一環だからである。世話役の学生が数人で頑張ったところで、大半の教員・学生が 作り出している雰囲気を変えることは難しい。オランダに行って気づいたのは、これは世話役の学生が解決できる問題ではない、ということである。オランダの滞在先の研究室セミナーは、院生の研究内容・発表スキルを向上させる場であった。教員が主催者であり、座長であり、学生の研究内容・スキルに対し、教員・他の学生が質問や問題点を議論する場であった。発表者も限られた発表時間内で如何に自分の研究を皆に伝えるか、を考えて準備してきていた。この点から考えると、立場の弱い流動的な学生が世話役をし、セミナーに関する教員の考えがうまく反映されないようなセミナーは、”教育”という観点ではとても脆弱なものに思える。なぜなら、参加者のモチベーションの高さが常にセミナーの雰囲気を作り上げる唯一の要素だからである。

2010年6月7日月曜日

岐路

4日金曜から昨日月曜まで連休をとり、石川と東京、つくばに行ってきました。これまでずっと悩んでて、結論を出せずにいたことを片付けてきました。昨日、荒川区役所に離婚届を提出しました。

私は、結婚とか、家族とかいう言葉に対するあこがれが強かったように思う。一緒にいることが心地よすぎて互いに頼りきってしまっていて、いつの間にか自分の足で立てなくなっていた。一度トラブルが起これば、あとは、互いのせいにして、そのまま悪循環へとまっしぐらだったように思う。いつでも軌道修正はできたはずなのに、どこか安心していて、修正しようという努力を怠ってしまっていた。忙しい、なんて理由にならないはずなのに。お互いが自分のことで精一杯で、気持ちを伝えあうことを忘れてしまい、ズレた気持ちがどんどんとずれていってしまった。傷つけあうことが多くなってからは、ますます向き合うことをしなくなってしまった。これ以上傷つけあったはいけないと、お互いに気づいたときには、もう、十分すぎるくらいお互いに傷ついていた。浅はかだったと思う。パートナーを持って、一緒に家族としてやっていくことを甘くみていた。もっと日々の努力しなければいけなかったのに。

ここ二年間は軌道修正を試みていたが、物理的な距離と精神的な距離の両方が大きな壁となっていたように思う。オランダに行く前に決めたことは、私がDへ進むきっかけとなった論文を書いた二人としばらく一緒に研究をして、自分の研究の位置を確かめ、今後のことをどう考えるかをオランダの滞在中に決めようということだった。論文をsubmitすらできないこと、ずっと同じことを繰り返していて、面白さを失い始めていたこと、私生活が上手くいっていないことを抜け出すためには、何か行動をしなければならない、決断をしたい、と思っていた。オランダでの滞在は、今まで短いながらも5年間研究に携わってきた中でもっとも研究の面白さ、奥深さ、そして何をしても研究にしがみ付いていきたいと感じた時だった。正直に言って、オランダに行く前は、もし、ここで、自分に諦めがつけば、博士課程を途中で辞めてでも、東京に行き、軌道修正に全力を注ごうと思っていた。例え、修正できなくても、やれることはなんでもやろうと思っていた。こう書いていると1か0のどちらかしかないのか、中庸をとればいいと言われそうだが、そんなに器用な人ならば、こんな状況にはなっていなかっただろう。今後、どうなるかは分からないし、この先、今回の決断を間違いだったと思う日は来るかもしれない。それでも、先のことは誰にも分からないし、進めるだけ、踏ん張って、前に進みたいと思う。

言い訳がましいことをつらつらと書いたけれども、最後に、これまで私を支えてくれて、これまでの生活の中で感じたことのない幸せを与えてくれた夫に感謝したい。本当にこれまでありがとう。これからは会うどんな人とももっと向き合って互いを尊重し合えるように心がけたい。

2010年5月22日土曜日

金曜日

今日は金曜日。すでに帰国後、3回目の週末。ずーっと、背後霊のようにまとわりついてた論文の最終原稿を共著者に送った。来週末までにコメントをもらって、修正して、6月1週目には投稿したい。これを手元から離さない限り、先が何も見えない。

先が何も見えないくせに、夢ばかりを追ってしまった決断をしました。今日ボスに報告しました。反応は意外にも、まぁ、仕方ないね、とのこと。これまで人生の岐路という岐路に立ったことがなかったように思う。今回は、完全な岐路だったと思います。たぶん、もう少ししたら、この話を別に書こうと思います。

今日は夕飯を家で食べるという目標のために早めに帰宅。先日の朝寝ぼけて、炊飯用の土鍋の中蓋を割ってしまったので、炊飯に時間がかかるのと味が落ちた気がする。それでも、電気炊飯器に比べれば断然美味しいけど。中蓋のために新しい土鍋を買うのも癪だけど、これから忙しくなるし、時間がかかるのは問題、というか、タイマーがないのが痛いし、日本にいるときくらいおいしいお米を食べたい、などのいろんなcost & benefitを考えながら、このまま頑張るか、新しい土鍋を買うか、全体的にあきらめて電気炊飯器を買うか、迷い中。。。

夕飯後は"trait"についてお勉強。自分のレベルに全く合わないレベルのシンポを企画しようという冒険的なことをしているので。個葉から個体、個体群、群集へとレベルアップする話を考えるときに、広く使われている様々な"trait"の定義がわからなくなった次第です。学部生レベルの知識だと、再確認。今夜調べていてわかったことはViolle et al. 2007, Oikosによると、論文によって用語がバラバラだということ。この論文では、それを一般化しようとしているし、話はすごく興味深かった。今回の企画も最初の概要の紹介のときに用語の説明をした方がいいのかもしれない。

2010年5月14日金曜日

輪読会

今日はちょっと落ち着いたので(ほんとはまだ落ち着いてはいけないが)、6階へ行き、野田研のFくんと今月末の輪読会の相談。話がのり過ぎて、本題から外れて、ベイジアンネットワークの話、国際学会の話(主にBES, ESA)、中立仮説の話、他の輪読会の話へと話が発散してしまった。でも、久し振りに日本語で群集生態学の話をしたのでめちゃめちゃ楽しかった。

ベイズ輪読の私の担当は3章のStatistic Inferenceの前半部分。ベイズ輪読なのにベイズに入る手前までが担当であることが判明。。。。まぁ、今週末でも読んでみよう。

札幌にもようやく春が訪れました。Magnoliaがきれい。

2010年5月11日火曜日

帰国後初セミナー

大変長らくblogをさぼっていました。5月2日に帰国し、3か月くらい日本にいます。オランダにいる間に新校舎への移転と新学期を向かえたため、帰ってきてみたら、知らない人いっぱいで、浦島太郎状態でした。

今日は新学期三回目の講座セミナーでしたが、私は初参加。D1の二人による研究計画発表でした。二人とも撹乱と生態の話でしたが、片方はbamboo, もう片方は湿原植物ということで遷移段階ではだいぶ異なる植生を対象としています。bambooの方は撹乱後のbamboo侵入と樹木への影響についてで、湿原の方は、撹乱後からの種の侵入と、光と水分条件についてでした。両方ともとても興味のあるテーマなので、大変楽しく聞かせてもらいました。簡単なコメントは以下の通り。

Bamboo)調査区内のbambooの生活史が把握できてないので、撹乱後の仮説へとつなげられていない。仮説がないので、羅列されている測定項目やデザインのどの部分を比較すれば、仮説の答えが見つかるのかがわからない。generalな研究目的が管理なのか、生態学的知見なのかがあいまいで、そのため、どっちつかずのデザインが多い。伐採の研究で一番重要な伐採強度がまったく考慮されていない(1、0ではダメ)。200ha の調査区は地形によって林分構造が大きく異なり、bambooの侵入度合も異なる。この伐採前の状態を定量的に把握しなければ、伐採による影響は評価できないはず。

湿原)泥炭採掘後の草本種の侵入について、ミカズキグサとヌマガヤの光と水分に対する応答の違いがこの2種の定着に効いている(草本群集発達のメカニズム)のを明らかにするという話。面白いのは、物理的環境条件の光と水分は草本に直接影響を与える(直接効果)と同時に、直接効果を受けた種Aの応答により、種Bが影響を受けるという間接効果があり、その両方を考慮するという点。問題は実験デザインで、直接効果と間接効果の両方を区分できるようにしなればいけないこと。水分条件を変える実験は3年間で結果がでるかが問題点なので、でなかった場合のD論のまとめ方も検討する必要あり。光と水の話は私の中では結構ホットな話題。光要求性と乾燥耐性の間のトレード・オフが示せれば、そこから群集内での階層構造に関連した種特性の分化へと繋げれるのではないだろうか。

撹乱の話を聞くといつも思うのですが、この手の話に常について回る、「撹乱前データの重要性」、について研究計画の時点でもう少し考えた方がいいと思う。そうでなければ、撹乱による影響だけを抽出することはできないし、研究目的自体が「撹乱の影響」を把握することならば、計画倒れになることが多いような気がする。

何はともあれ、大変面白かったです。

2010年4月24日土曜日

Excursion of Tulip and Dune, in Castrium

Wageningen滞在最後の週末は、Fさん主催の遠足でした。Fさんは私のadviserであり、なぜかAmsterdumに住んでいるという変わり者 です(笑)。キューケンホフのように混んではいないので、Castriumをチョイスしてくれたようです。

駅からはレン
タサイルで移動(一日6.5ユーロ)。はじめに向かったのはFさん所有のキャンパーで、アムスに住んでいる人たちは休日は都会の喧噪を逃れてここに来るようです。そのせいか、敷地面積あたりのキャンパーの数が多すぎてちょっと不思議なかんじになっていました。でも、外でみんなで飲むコーヒーは最でした。



その後は、自転車で走りながら、チューリップやヒヤシンスがいっぱい咲いているのを見つつ、砂丘へと向かいました。この日はかなり天気がよく、暖かかったのですが、海に入るには明らかに寒かったにもかかわらず、約二名泳いでました。。。。寒そう。そのあとは景色(牛、鳥、プロペラなし飛行機など)を見ながらサイクリングを続けて、駅に戻った時にはもう18時でした。夕飯とビールを駅前で楽しんで、Wageningenへと帰りました。充実した一日でした。Fさんありがとう!!



2010年3月23日火曜日

IPCCの間違い!?

今日のlunch seminarはIPCCについてだった。Wageningen大学にもIPCC等に関わる大物の先生方がいる。彼らが、独自でお昼のセミナーを開いた。メールは大学の人全員に送られ、会場は講義室を三つぶっ続けにしたが、それでも人であふれかえっていた。もう、この時点で、うちの大学との違いに驚いた。研究院アワーとかやってるけど、参加者がすごく少ない。講座でやっているセミナーに関しても同様のことが言える。科学全体に対するモチベーションの差を感じる。
今回は、IPCC Reportが作られる仕組みについて説明があったのち、最近オランダの新聞で取り上げられた記事に間違いがあることや、IPCC Report自体もWorking Groupによって引用に間違いがあることが指摘された。local areaで得られた結果をglobalな話に使っていたり、有意かそうでないかの解釈がおかしかったり、といった例が挙げられた。日本政府はすでに間違いを指摘しているというコメントもあった。ヒマラヤ氷河の話などはもうすでにニュースに取り上げられるくらい有名な話ではある。問題点としてreportのreviewerが少ないことが挙げられていた。greyなreviewと言われているIPCC reportに対して、集まった科学者たちは多いに議論していた。このような場が大学内に設けられ(ランチ中)、皆が科学と社会とのつながりを再認識することはとても重要なことだと感じた。日本の大学は研究施設としての役割を全うしているのだろうか?

癒し

最近、疲れている。というのも、土日は働かないはずが、予定通りに行かず、土日も大学に行く→でも進まない→平日も夜遅くまで→でも進まないという悪循環にはまっているから。たぶん他の日本人からみたら、あたりまえじゃん!ってかんじのサイクルかもしれない。でも、私はこのサイクルが嫌い。できれば、土日は休みたい。だって、労働時間に反比例して効率が低下するから。
こんな私の毎日だが、唯一の楽しみがとある方のブログを読むこと。なんとも癒される。なぜかはわからないけれども、オランダでの毎日の終わりの日課になりつつある。こんな風に生きられればいいな、とよく思う。

2010年3月20日土曜日

Excursion & Practical in the Forest

さて、講義もいよいよ後半に突入です。場所がフィールドに移ります。3月19日(金)午後からオランダ最大の国立公園De Hoge Veluweの横にある(含まれてるのかな?)Ugchelse Bosに行きました。2週間前にも他の場所でエクスカーションがあったのですが、一時帰国中で参加できなかったので、今回が初めてのオランダの森体験でした。

生態学的な背景は以下の通り。森林内にGapができると森林構造が変化し、林内の微気象も変化する。Gapによって、光の有効性や温度が増加したり、土壌が撹乱されることで樹木は更新の機会を得る。定着後、成長し、高密度になり、種内や種間の競争の結果、将来の林冠の種構成が決まる。しかし、中型や大型の哺乳類(rabbit, hare, red deer, roe deer)が更新段階の種組成を劇的に変化させ、故に、森林構造(長期間の更新の抑制)と種構成(選好種の被食)に大きな影響を与えると予想される。今回のfield tripでは、Ugchelse Bosのsmall-scale regeneration unitsを訪れ、更新における種構成や密度に対するGapと大型被植者の排除の効果を学ぶことを目的とした。

Ugchelse BosはState Forest Service(Staats Bos Beheer, SBB)が管理する1440 haのUgchelen-Hornderloo forest areaの一部である。エリアの中心部はoak(Quercus robur)やPinus sylvestrisが混在する雑木林として森林が残存している。最後の伐採は1925年から33年の間に行われた。
1890年まで、雑木林は大きなヒース林に囲まれていた。その後、ヒース林はより生産的な森林へと植林化がすすめられた。Pinus sylvestrisno人工林は19世紀末から20世紀初めに作られ、Pseudotsuga menziesii, Larix kaempferiや他の針葉樹は、Pinusの後に二次更新として1940から1950年の間に主に植林された。1950年から1990年にこのエリアは禁猟地区として保護されたため、red deerやwild boarの大きな個体群が保たれた。1990年ごろまでには、より自然な生態系の創生を強調する多機能な森林を作る方向へと管理体制が変化していった。目的は、大きな自然保護地区の一部として、native tree species(主に広葉樹)の長期的な森林を作ることである。Wild boar, red deer, roe deerといった大型哺乳類は今現在も高密度で生息している。すべての動物個体群は狩猟によって調節されている。State Forest ServiceはEuropean Bison (Bison Bonasus)の再導入の可能性を調査しているところである。

今回見学したのは次の通り。1)Thinning experiment and exclosure, 2)Mosaic method, 3)Game-meadow, 4)Daglas fir stands, removed in 1998、それぞれの場所で被食の程度や更新、種組成、森林構造、ギャップの閉鎖具合等を観察した。修士学生たちは、どのような森林にするにはどの方法が有効なのかについて各場所でdiscussionを行った。雑木林を保つために最良の方法とは何だろうか。日本のように自然林の多く残っている国とは森林に関する価値観自体が違うように感じた。日本の里山保全に近いのかもしれないが、目指すものを明確にしなければ、持続的な管理は難しいかもしれない。私が見た限りではシカ柵の中以外で実生の更新は見られなかった。その点では現時点での問題点は明確かもしれない。しかし、優占するoakもまだ80歳ぐらいなので、次の世代へと変わるころまでに種構成等に変化が起こるかもしれない。来週から、ここでpracticalが始まる。修士学生たちが何を感じ、どうまとめるのかが楽しみである。

今回の見学中にふと日本で読んだ本のことを思い出した。それは、里山保全を批判する本だった。里山保全を推進する人たちは郷愁の思いが強い、里山は作られた自然だから保つ必要はない、昆虫種もかつてはいなかったものばかり、などの批判が書かれていた。では、自然林のないオランダではどうだろうか。この雑木林も里山のようなものではないだろうか。”non naturalな”森林は本当に保つ必要はないのだろうか。都会の便利さを得ても、時には喧噪を逃れて森林に憩いを求める人は多い。雑木林や里山は人の生活により近い森林であり、もしかすると一般の人からすれば、これがnatural forestとなる日がくるのかもしれない。私は、里山を保つ必要がないとは思わない。

2010年3月13日土曜日

ワーゲニンゲン大学講義

twitterにはまっていたので、blogを書くのを怠ってしまった。

3月から始まった私の滞在先のForest Ecology and Management Groupの講義について書きたいと思う。私は今週の火曜日から参加し始めたので、いまいち事情は分かっていないけど。
今、うちのグループには、group boss 1人、professor 1人、assistant professor 3人、lecturer 1人、topPD 1人、PD 2人、教育係とアシスタント 2人がいます。ここのPDは、日本のPDとは違い、完全に先生で、助手とやってることは変わりません。ちなみに私のこっちでのボスはTop PDとかいう意味不明の役職についています。上の計11人が学部生用と修士生用の講義を担当。1学期の間ずっと午後はこの授業。だから、「日本みたいに今日は水曜だから、、、」とか考える必要はありません。この方式ってはじめは、えっ、と思ったのですが、学生は毎日同じ授業だから内容を覚えやすいし、先生も自分のグループの担当時期を外せば、海外に調査にいけるという利点が多いように思う。まぁ、不利点は言うまでもなく、準備が大変、ということでしょう。修士学生用のは講義が二週間、そのあとにpracticalがあって、自分で研究計画を立て、実践し、最後に発表とレポートを書くらしい。まだ講義中なので、詳細はよくわからないけど。この前、講義で疲れ果てた先生の一人が愚痴のように、これからまだpracticalがあって、云々言っているのを聞きかじっただけなので。
今週出た講義の内容は、すごく充実していた。もちろん内容は森林生態学について。functional traitsから生態生理、architecture model,population dynamics, grobal modelまで、英語の分厚い教科書に載っているような内容を自分たちのgroupの関連研究を例にいれながら進めていた。これこそ、世界の第一線で研究している人たちがいっぱいいる研究室の醍醐味かもしれない。毎週のように「論文でたよ、enjoy reading」メールが届くのはダテではない。(ってか、いつ書いているのだろうか。しかもEcologyとかJournal of Ecology, New Phytologistとかメジャーなところばっかり。。。) 講義で面白いのは、いろんな論文を引用していて、例えばnatureで199?にこんなことが言われていたけど、実はこうゆう見方をするとこれは間違っていることがわかる、とか、すべての研究が正しいわけではない、ということも教えてくれる。もし、自分が森林生態学の専門でなくても、森林に関わることをしているのならば聞いておいて絶対に損はしない講義だと思った。現に、他の研究室のPDやPhDとかも聞きにきていた。悪い点を挙げるとすれば、内容が詰まり過ぎで初めて聞く人にはついていくのが厳しいかもしれない。予習が必要だと思う。何と教科書は電話帳くらいの厚さで、先生たちが作った原稿がバインダーにとまっているだけ、というすごものである。

来週からは、生態学から応用へ、保全についての講義が始まる。ボリビアやアフリカの話がメインのはずである。楽しみにしている。

2010年2月22日月曜日

Anne Frank

たとえ読んだことがなくても、誰もが一度は聞いたことがある世界的ベストセラー”アンネの日記”。いまや55カ国語で出版されている。私は小学6年生の時に読んだ。正直な話、すごく感銘を受けたにも関わらず、14年も経って内容はうっすらとしか覚えていなかった。オランダに来れるとわかった時、一番訪れたいと思っていた場所がアンネの隠れ家であった。今日、そこを訪れ、今一度、14年前に感じたのと同じ感銘を受けた。

1942年6月12日13歳の誕生日プレゼントに日記をもらったアンネは、日記にキティーと名づけ、1944年8月4日にドイツ警察が隠れ家に踏み込み強制収容所に連れて行かれるまで、彼女の思いを綴った。結局隠れ家にいた8人のユダヤ人のうち戦後生き残ったのはアンネの父親オットーだけだった。彼は亡き娘アンネの日記を世に送り出したのである。わずか15歳の少女が書いた日記が世にもたらした影響ははかり知れない。

「未来を築くためには、過去を知らねばならない」 (Otto Frank, 1967)

別にユダヤ人迫害に限ったことではない。どんな未来を築くにせよ、過去を知ることは重要なのである。過去を知ることで、自分の今いる場所を知ることができる。そして、進むべき未来は自ずから見えてくるはずである。

Rembrandt, Vermeer and Vincent van Gogh

日曜日は朝から美術館めぐり。はじめにゴッホを見に行こうと思ったのに、寝坊したため、ホテルから近い方の国立美術館へ先に行くことに(100 mくらいしか違わないけど)。年間パスを購入し、中へ。美術品やオランダの歴史に関わるものをみて、二階に行って、びっくり。実は昨年Pieterが来日した際にお土産をいろいろと貰いその中にレンブラント絵葉書があったけど、ふーん、というかんじだった(Pieterごめんね)。でも、全然違った。すげー、と開いた口がふさがらなかった。特に"The stone bridge"は完全に私のつぼにはまった。いつでも見れるところに置いておきたいと思った。フェルメールは光と影の描写が絶妙だった。青色がすごくきれいで、これはどちらかというと美術館で見たい作品。

その後、ゴッホ美術館へ移動。ひまわりや自画像とかは美術の教科書でみたくらいで、実はあんまり得意ではなかった。ピカソもピカソ展(上野)ではどちらかというと若いころの作品の方が好きだと感じた。ゴッホもピカソと同様、彼の人生の中で描き方が大きく変化する(みんなそうか?)。見た率直な感想は、私の好きな作品とそうでない作品がきれいに分かれた、ということ。というのも、どす黒い人間の心の葛藤のようなものがすごく感じ取られる作品と、自然の美しさを表した作品の両方があるように感じたから。どちらかというと私は後者の方が好き。この両極端な作品が同一人物によるのは、まさに彼が両方の面を持っていたからなんだと思う(勝手な解釈)。単に人間らしかっただけなのかもしれないけど。どちらにせよ、行けてよかった。機会があれば、いくらでも行きたい。

2010年2月18日木曜日

Dutch Food in Lourens's house

月曜日に突然Lourensから夕飯に誘われ、彼の家にお邪魔しました。Marielosがオリエンタルフードでもてなそうと考えていたそうですが、Lourensの提案により、初Dutch foodをごちそうになりました。どうも、Kitajima Kaoruさんと仲が良いらしく、親日家であることが判明。フランカに鶴をいっぱい作せられました。9時前くらいにHenderikがドイツから訪ねてきて、お酒を少々頂きました。大変楽しかったです。

student presentation

今週はblogをさぼってしまった。なぜなら論文原稿にやられていたから。
今日は新しくPhDになったPeterのstudent presentationが15時からありました。ここのゼミのすごいところは発表は20分と制限されており、”3分前”、”もうオーバーしてるから早く終わらせて”と発表者に知らせていたFrankがいつもの笑顔と打って変って怖かったことと言ったら、わたしは固まっていました。それほど時間内に発表を終わらせるのは重要なのです。その後は10分弱のdiscussionタイム。みんながすごい勢いで質問していきます。それが終わるとpresentation自体の評価タイム。このスライドがわからないだの、20分の発表に内容を詰め込み過ぎだの、指摘されていました。私はというと、早い英語についていけず。発表内容は全部理解できたのに。。。こんな状態で3月25日にほんとに20分で自分の発表ができるんだろうか。

2010年2月14日日曜日

旧正月

明日2月14日は中国のお正月なので、今日はイブ、大みそかです。週末はベルナルドとジュリアナはベルギーへ旅行に行っているので、家主のLiさんと二人きりです。二人いないとかなり静か。夕飯は、Liさんが腕をふるって中華を作ってくれました!!ワイン飲みながら、おしゃべりして、2時間dinnerしました。



インターナショナル

やっと2週目が終わろうとしています。今週中にみんなに送るはずだった原稿修正は、金曜日のdiscussionの結果、日曜までに、ということになりました。週末頑張ります。

金曜日に8時まで仕
事をしてる人はうちの研究室にはいません。気がついたら、誰もいなくなってました。誰にもHave a good weekendと言えなかった。

肌が切れそうな寒さの中ちゃりで帰ると、家には明かりが。この明かりってすごくうれしい。同居人のイタリア人ベルナルドとその彼女ジュリアナ(2週間だけ遊びにきてる)と飲みに行く約束をしていたのですが、急きょベルナルドの友人ドイツ人のstudent flatのパーティ―に行くことになりました。が、待っても、連絡来ず。お腹がすいたとだだをこねていると、じゃあ、パスタでも作ろうか、ジュリアナがカルボナーラを作ってくれました。しかもイタリアからわざわざ持ってきたチーズを使って。とてもおいしかったです。



結局、student flatに着いたのは、10時半くらい。全部で30人近くの留学生が集まってました。このstudent flatが25日で取り壊されるらしく、
来週から留学生の大移動が始まるので、その直前パーティーだったらしいです。最初は仲間に入れず、ジュリアナたちと話してましたが、お酒がウォッカに変わるころには、食堂もデーブルとイスが端に寄せられ、ダンスホール化。もうみんなCRAZYなかんじで、とても楽しかったです。金曜日はこんなふうに過ごすのがいいかもしれない、とふと思いました。

2010年2月12日金曜日

コーヒータイム

学会も終わり、昨日と今日は研究室で作業です。ここでは、10時30分、15時30分にコーヒータイム、12時30分にランチという規則のようなものがあり、あんまり忙しくなくてみんなで食べたいor飲みたいなぁ、と思い立った人が、"coffee, coffee", or "Lunch, Lunch"と叫びながら、みんなの部屋のドアを叩いていきます。んで、時間のある人はcoffee roomに集まるという仕組みです。
何より素晴らしいのはどこにでもネスカフェの機械が置いてあるので、コーヒー、紅茶、チョコレート、エスプレッソ、カプチーノ飲み放題。ボタン一つで10秒で入れてくれます。手軽さから最近カフェインの取り過ぎで危険です。
ここのところ、8時から8時半には登校するようにしているのですが、屋上に行き、あたり一面見渡しながら飲むカプチーノにはまってます(さぶいけど)。

2010年2月11日木曜日

オランダ生態学会

2月9、10日はオランダの生態学会でした。九州くらいの大きさしかない国なので、生態学会も小さめです。10の大学と2の研究機関からエコロジストが参加。

午前中は主にシンポジウム、といっても選択肢はなく、日本の生態学会でいう、宮地賞授賞式のように全員がそこに集まっています。講演者は国内の研究者とその共同研究をしている海外からのお客さんが二人続けて40分ずつ話をする。それが二日なので計4人。一日目は環境変動の話でどう予測するのか、というトピックを中心に話が進み、二日目はfunctional group diversityとエコシステムサービスのつながりに注目していました。すごくスケールの大きな話ですが、生態学者としてbiodiversityとは何なのか、どこに価値があるのかを知っていてほしいという今回の主催者の意図に沿ったとてもよい発表でした。

午後からは口頭発表。PhDを取り終わりそうな学生かプロジェクトリーダーのような人が発表者なので、15分の発表なのに内容が濃い。専門外の発表を聞いていても最新の教科書を読んでいるみたいですごく面白い。内容については後日。community ecologyのセッションをどの発表も面白く、Hubbellと共同研究している人の中立仮説の発展バージョンは特に面白かったです。

二日目は午前のシンポを聞いて、Lourensが帰るといったので、車で一緒に帰ってきました。そのあと、論文書きをしようと思ったのに疲れきって寝てしまいました(汗)


2010年2月9日火曜日

論文書き

共著者から返信がきた。なんともやさしく、なんとも気を使ってくれているのがひしひしわかるメールだった。自分の経験談に加え、自分が長いこと論文を返せずにいたことを謝ってくれた。忙しいことは私が一番よく知っているのに。自分の小ささを改めて思い知った。もっと自分の立ち位置を知り、周りの人にどれだけ助けられているかを理解する必要があると思った一日でした。あまりにも固くなりすぎていた自分がいたように思います。

オランダに来て、毎日いろんなことを学びます。まだ1週間ちょっとだけれども、ほんとに来てよかった。

2010年2月8日月曜日

論文書き

昨夜ブログに書き込み、一晩たって、少し落ち着きました。
昨夜は完全にやられてたみたいです。向こうは親切心でしてくれていることなんだから、自分を見失わないように、自分のスタイルを保ちつつ上手くやっていかなければならないですね。この辺の感情のコントロールができていないのが私の問題点でしょう。目標はself-controlです。論文書きは自分の知識不足と論理の立て方がなっていないから駄目なんだと思う。だから共著者にも理解してもらえないし、忙しい中で時間を割いても途中で放り出してしまいたくなるのでしょう。共著者すら理解できない論文を他の研究者が理解できるわけがない。今日Frankとdiscussionしていて、自分のわかっていない部分がわかったような気がする。この部分をふまえて修正したい。

2010年2月7日日曜日

マーケット

ワーゲニンゲンでは土曜日に中心の教会のまわりに市場がでて、日曜日にはほとんどのお店が閉まるらしいです。よって、今日は市場に行ってきました。部屋を借りてる家のオーナーと一緒にいきました。

まずは、インドネシア食材店TOKOに行き、日本米を購入。豆腐とかも売っていて、ここで買い物すれば、かなり自分の料理ができると思う。

次にオーナーさん行きつけのアンティーク屋さんに。昨夜、新しい絵をみて、心底日本に持って帰りたい衝動にかられたわけですが、このアンティーク屋さんは置いてあるものがすごくいいだけでなく、見せ方をこだわっていると思います。だから、よけい欲しくなる。小物は2ユーロくらいから置いてあるので、一時帰国まで毎週末通って、いいものを見つけたいですね。

その後、市場へ。教会周辺で、Laurens家族とPutzさんと偶然会った。狭すぎだろ、この街。ということで、そのあと、魚やさん、果物やさん、花屋さん、と周り買い物しました。タラとマンゴーとベコニアを購入。魚は結構高い(夕飯で食べたら新鮮だった)。マンゴーは5つで3ユーロだから安い。ベコニアは破格!!凄くきれいなものが2.5ユーロ!!日本だったら最低でも3000円はしそうなやつなのに。もうチューリップとかも市場にならんでました。これから春に向って、研究室の机まわりを花で埋めよう計画を始めます

オランダのお休み

今日はオランダに来て初めての休息日です。大学に行って仕事をしてもいいのですが、実は大学のカードを頼むのを忘れていて、金曜日に話をしたら、月曜日に事務に行ってそれから二日かかる、と言われました。気づいたときに言っておけば、今週末には間に合ったかもしれませんね。

こちらでは、週末はほぼ完全にお休みです。大学の職員はどうも週4日の勤務らしい。ので、みんな金曜日か月曜日に休みをとってて、三連休にしています。私は普通に週5日はフルで行こうと思ってます。土日は完全休息日と半休息日の両方でいく予定です。先週は時差ボケもあったので、8時には家を出て、19時前には帰っていました。この感じの生活が続けられれば、と思っています。

2010年2月6日土曜日

初週末

月曜日の夕方にオランダに着き、怒涛のように週末になったように思う。
途中で生きることに一生懸命でブログを開けなくなってしまった。
2日(火):修士のゼミ、Lourensと打ち合わせ、歌の練習、初スーパー
3日(水):
Lourensと打ち合わせ、PhD defense、パーティー
4日(木):ユトレヒト大でミニシンポ、飲み会、帰ってきて日本人飲み会、ちゃりをゲット
5日(金):Frankと研究の話、Putzさんと研究の話、論文修正、スーパー、ホストのおねえさんと飲み
という風に一週間が終わったけど、よく考えてみると2日以外は毎日飲んでる。
日本にいるときと変わらないどころかひどくなってる?

2010年2月4日木曜日

PhD defense

なぜD論発表会のことをPhD defenseというのかと昨日考えていたけれども、今日の公聴会を聞いて、その名の通りだと思いました。質疑応答だけで一時間。すばらしい公聴会でした。まさにハリーポッターの世界。カルチャーショックをぬぐいきれないと同時に、やはり私が来年の3月に学位を取得できるのか不安でしょうがなくなりました。
公聴会の後はLarsの家に全員集合でパーティでした。初Sterckでしたが、面白い人でした。また、研究室のみんなに3か月いるのなら最初と最後に発表しないとね、と笑顔で言われました。はい。がんばります!!

2010年2月3日水曜日

ワーゲニンゲン大学2日目

今日は8時に登校。メールチェックをしてると9時過ぎにはLaurensが登場。discussionを12時までたっぷり話をして、ここで何をやるか、の方針が固まりました。あとLiberiaに関するお話も。お昼を食べてから、指摘された解析結果の計算のやり直しをしていると、別の仕事が降ってきた。やるかどうか、迷ってるとLaurensが部屋まで来た。やってみないか、との申し出に、やったことがないから不安だと迷ってると、向かいからいつかやんなきゃいけないんだから、今やりなさい、との神の声が。はい。やります。この決断力のなさが駄目なんだと思ったけど、すごく勉強になるのは確かなので、やると決まったからには全力でやらせていただきます。こっちにいるあいだにできるだけスキルアップさせていただきます。

初めてのお買いもの

スーパーで適当に買ってサンドイッチでも作らないとお昼ごはんがなくなることを今日知りました。というか、昨日の夜に着いたから、普通に夕飯、朝食はどう頑張ってもなかったんだけど。機内で配られてたパンをキープしてたので何とかなりましたが、昼まではもちませんでした。そして、パン食が続いたので、米が食べたい。

大学からでるとなぜか雨。結構土砂降り。でも、みんな誰も傘さしてない。とりあえず、折りたたみを開くが意味をなさないぐらい降ってる。てか、今朝は雪だったのに。どうして。そのまま、Liさんに教えてもらったスーパーへ行ってきました。ついた頃には戦意喪失。でも、食わなければやっていけない。さらなる追い打ちは、すべてがオランダ語で全く理解できない。とりあえず適当にサラダとサンドイッチが作れそうな材料を。あと、米。タイ米とインド米しかない。てか、どっちもほとんど一緒なのに。とりあえずインド米を購入。砂肝を発見し、うれしくてかごに入れてしまった。誰か適当にうまいものを教えてくれ!!

ワーゲニンゲン大学初日

昨日は20時には眠すぎて布団に入ったのですが、2時間おきくらいに目が覚め、4時には完全に起きてました。キッチンへ行くと家主のLiさんはすでに起きて仕事をしてた。さすが、中国人。

驚いたのは8時くらいでもまだ薄暗いこと。8時に家を出てプラプラと景色を見ながら大学へ。30分もかからずに大学に到着。ビルを間違えるというミスをしましたが、無事にLumenビルに到着。ここは生態関連のグループが入っているらしく。全体がガラス張りで各棟の間は温室のような半中庭が広がっています。すげーかっこいい。でも、構造が複雑で、早速Poorterさんの部屋がわからず、中庭をぐるぐるしました。そしたら、見えてたらしく、走ってきてくれました。若っ!いくつなんだろう。PhD studentでも全然通ります。

9時からMasterの学生の研究計画ゼミ。質問込でたった一時間なのにすばらしい発表でした。しかも英語だし。内容はとある熱帯林の1つの樹種について花粉制限が密度依存的な影響を受けているかを検証するものでした。何より研究計画の発表の仕方が素晴らしく、それに加え、他のMaster生の質問が的確。私も含めうちの研究室のドクターの誰もここまではできないのではないかと思う。すげー反省。ただ、いまいちまだ絞り切れていない部分はありましたが、研究計画なので、その辺は今から絞っていきますとのことでした。

そのあとにLourensとdiscussion. でも、途中でFrankと話したいとのことで中断し、そのあとにGeovanaとのdiscussionが入り、お昼に。お昼には明日のD論発表会の後のPartyでみんなで歌を歌うらしく、その練習。なんと2時までやってました。そのあとはD論発表会の主役Lars Markesteijnの登場で、やっぱりdiscussionできなかった。LarsのD論をいただいたのですが、8章構成で、タイトルは"Drought tolerance of tropical tree species"。さらっと読ませてもらいましたが、正直、朝のMaster生の研究計画はやっぱりmasterで、これがD論だという格の違いが表れていました。あたしが今やってるのは確実にMasterレベルだな。さぁ、どうしようかな!!



2010年2月2日火曜日

オランダ初日

土日に怒涛のように準備を終わらせ、ついにオランダに向けて旅立ちました。
札幌-成田-アムステルダム-ワーゲニンゲンと、朝6時すぎに家をでて、ワーゲニンゲンの家に着いたのは18時でした。ん?あんまり時間かかってない?いやいや、時差がありますから、時差が。日本時間では夜中の2時過ぎですね。ほぼ一日かけての移動でした。あー眠い。

成田―アムステルダム間

機内食(昼):どっかの有名な洋食店とのコラボのデミグラスハンバーグらしい。味は普通。機内食ではおいしい方かも。
飲み物:ビール2、白ワイン1、お茶等

映画:カールスじいさんの空飛ぶ家(星三つ)、 山桜(星三つ)、Music & Lyrics(ありがち)、かいじゅうたちのいるところ(面白くなくて、途中放棄)

アムステルダム空港

JALを降りた日本人たちの英語のできなさに入管の人たちが呆れて大変なことになっていた。後ろに並んでいる日本人から英語ができる人を募り通訳させてた。せめてパスポートと帰りのチケットを見せること、何泊するか、旅の目的くらいは言えて欲しいですね。大学生なんだから(絶対サッカーをやりそうな風貌の高校生は大丈夫だったのに。留学中なのかしら?)。←英語が不安な年配の方々は観光ガイドがいるので大丈夫。私が手助けした女の人は英語がしゃべれてたのに、帰りのチケットを見せる仕組みを理解できなく(Eチケットでいいんだけど、チケットって言われるとちゃんとしたチケットを想像しちゃうんだよね)、もめてたみたいでした。日本人全体がしゃべれないと思いこみが強くなったことで、彼女にちゃんと説明しなかったんだな、と思いました。かわいそうに。

ATM探し:知らない空港なので結構時間がかかった。北欧系の美しいお姉さんが教えてくれた。
電車のチケットカウンター探し:これも見つからない
。ホームにはチケットがなくても行けてしまうので、このまま無賃乗車すると多額の罰金がかかるとガイドブックに書いてあったので、フラフラと探して、またもやどこかのフライトアテンダントお姉さんに尋ねる。ぐるっと回って反対側にあった。

電車のホーム:チケットは買えた。ホームに来たはいいけど、電車があっているかを確かめたい。チケット売り場のやさしいお姉さんによると、「ホーム3、14.10ユーロ、直行快速」、という情報だった。発車時刻は16時2?分のはず。その辺にいたおじちゃんに聞くと、どうも旅行者だったようで、ドイツから来たからわからないと言われ、そこのでかい二人はオランダ人っぽいから聞いたらと言われ、話しかけようとしたところで移動してしまったので、どーしよ
ーかなってフラフラしてたら、さっきのドイツのおじちゃんが後ろのお姉さんたちに聞いてくれた。「次の電車はede-Wageningenにはいかないよ。ちょっと見せて。この紙に書いてあるじゃん。TIJD v16.29 a17.32。これは、出発時刻と到着時刻なのよ。」と流ちょうな英語で教えていただきました。TIJDって時間なのか。

電車内:「世界の車窓から」生体験。美しい。美しすぎる。休みの日には電車で旅行することを心に誓いました。

家に到着。家が暗い。つまり、誰もいない。入れないじゃん!!
待つこと10分。家主帰宅。ほっとした。中に入ると、すげー家。これで家賃330Eなの。ずっとここに住みたい。


2010年1月30日土曜日

あと2日

昨夜は自分企画の飲み会(送別会)でした。修論の忙しい時期でも来てくれるM2は最高ですね。ちょうどいい感じの人数で、お酒もおいしいものが、そして魚は何とサクラマスの塩窯焼き。いままでで一番おいしかったです。今度からは刺身だけでなく、焼き物もあらかじめ頼んでおいた方がよさそうですね。次回は生態学若手研究会の前夜に行く予定なので、一か月後が楽しみです。










さて、現実に戻ると、オランダ準備が進んでいない、というか、やってない。土日にやろうと思っていたのですが、今朝は起きたら13時でした(汗)。夕方から大学に来て引っ越し準備。自分の荷物をすべて片す。もう22時。さぁ、帰ってオランダに持っていくスーツケースを詰め始めなければ。

2010年1月29日金曜日

あと3日

最近の札幌は寒暖の差が激しい。肌を刺すような劇寒い日が来たと思うと次の日には雪が解け雨が降ったりしている。今朝は暖→寒に変ったときだった。昨日解けた雪はつるつるに凍り、歩きにくい。びっくりしたのが、ヤクルトのおばちゃん。やっぱりちゃりに乗っている。いや、乗れずに引いている。でもふらついて歩行者の方へ。北大周辺の多くの人に言いたいことは、凍結した路面上をちゃりで走ることの意義はなにかということです。冬タイヤをはいてるならまだしも、引いてでもふらつくような自転車ならば乗るのはやめてください。こけてケガをするのが自分自身ならば自己責任かもしれない。でも、周りを巻き込む危険性は果てしなく高いでしょうに。


2010年1月28日木曜日

死亡率

10年のスパンをとった死亡率の計算が終わった。モデルは簡単なまま。ファイルはmortality20100128に保存。パラメータ間の相関が見えた。だが、この結果は、、、、(汗)。解釈はそのままだろうな。

あと4日

すっかり失念していたが、オランダでは研究発表をやる機会が何回かある。スライドをつくりはじめなきゃ。

昼過ぎにやっとで学振から証明書が届いた。これで必要な7種類の書類がすべてそろったので、Wageningen大学の事務にメールで送った。と、同時にまた自動返信が来た。この事務の人っていつもofficeにいないのね。すごいお偉い人で出張ばかりいってるのかな。

そういえば今回の海外派遣はなんと国内航空費がでないらしい。意味がわからないし、すごく腑に落ちないけど規則は規則なので、旅行会社に見積書と領収書を国内線を別にして再度発行してもらった。だいたい全部まとめての格安航空券なんだから別々にするのがどうかと思う。遠足は家に帰るまでが遠足なのに。しかも、見積書は捺印が必要らしい。色々わがままを聞いてくれたちょーやさしい旅行会社J*Bさんは明日わざわざ研究室まで原本を持ってきてくれるそうです。大変助かります。明日書類を全部送ったら本当に事務処理がすべて終わってくれるとこを祈ってます。

死亡率

昨晩の計算は7時間5分23秒かかっていた。結果はmortality20100127fileに。全個体を対象にしたとはいえ(約13万本)、たった1期間データ(2000-2005)でパラの一番少ないモデルでも7時間もかかるのにびっくり。死亡率だけでなく、成長率とか樹形パラも一緒に計算するとおそろしいことになるはず。うーむ。そういえば、昨日ボスに5年間のデータじゃなくて10年間の死亡率も見とけって言われたんだった。回しておこう。




2010年1月27日水曜日

死亡率

昨夜、referenceのチェックが終わって家路についたのは1時でした。
そのあと、論文を見直しはじめ寝たのは3時。しかも、朝は起きれず、午前中が。。。効率の悪さが露見してます。

午後からは、論文の見直しとそれに続く次回作思案。思い立って正月明けに計算してた死亡率の結果をいじくってみた。おぉっ!!見事にどのパラにも相関がない。。。だめじゃん。てか、サイズと死亡率は線形じゃないし。モデルを改良しないと死亡率の種間変異でみたい部分の違いが見れさそう。でも、なんとなく、帰る前にサンプルサイズを全個体130000本くらいに増やして回してみた。明日の朝結果をみよう(こういうのを電気の無駄づかいというのかもしれない)。U字の死亡率を計算してる論文をあたらないといけないですね。成長に関してもとりあえずサイズ依存を線形で入れてる。理由は一番パラが少ないし、シンプルが好きだから。でも、ボス曰く、「ちゃんと考えてね」。はい。そのとおりです。ない脳みそを頑張って働かせます。でも、数学苦手なんです。

D論発表会2

今日は環境科学院のD論発表会。興味のあるエンレイソウ繁殖様式の話と講座の先輩Nさんの発表会に行ってきました。
生態遺伝のKさんの発表をちゃんと聞くのは初めてでしたが、一昨日のMさんと同様研究スキームがはっきりしていて大変興味深く聞かせていただきました。質疑応答もすばらしく、私は一年後あの場所に立てるのか不安になりました。
対 象のオオバナノエンレイソウは両性花をもち、種内に自殖(和合)と他殖(不和合)の集団が存在する。一般的に植物では自殖の方が有利であることが多いのだ が(花粉制限を受けないとか、集団内の近交弱勢が浄化されていくとか、系統学的支持によるとかいう理由で)、調べてみると、自殖の有利性は見られず、逆に 他殖の方が進化的に有利であった、という話でした。他殖→自殖ではなく、自殖→他殖と進化する直接的な要因は分りませんが(私が理解してないだけ?)、聞 いてて面白かったです。
そのあとは先輩Nさん。予備審で聞いたことがあるため、内容はよく知っていましたが、いつ見てもこの方のデータ量には圧巻です。

毎年D論発表会の時期はマレーシアにいたので、久し振りに面白い発表を聞けて満足です。そろそろわたしも本格的なスキームを詳細に決めなければ、、、、

2010年1月26日火曜日

あと6日

今日は論文投稿準備。ベクトル画像データに変換作業、referenceのチェック、cover letter書き。長かった。この二年間。でも、パソコンにめっきり弱い私はベクトルデータが一体どんなものか、というところからお勉強。まだ時間はかかりそう(泣)。eps形式に変換してwordに挿入。ほんとにこれでいいのだろうか。。。

reference整理中に怖気づいた。まだ駄目だ。。。もうちょっと論理を整理しなければ。ボスの一言がいつもに増してすばらしい。
「頭を煮詰めずに、整理して、クールにね。」


2010年1月25日月曜日

D論発表会1-2

夜はMさんの打ち上げに参加。ちょっと遅れていったら席が空いてなく、なんと主賓+主査+副査の席に座りました。関係者とはほど遠いのに厚かましくてすいません。でも、気になっていたこと全部聞けました。

-藻類食者については、緯度と種数との関係は見られなかったけれども、密度とは関係していた。だから、多様性と撹乱のパタンは単峰形を示すとのこと。
-ベイジアンネットワークはパス解析をベイズでやる方法らしい。Rのパッケージであるが、Gaussianしかできない。でも、自分でプログラムを書けば階層ベイズでもなんでも追加可能らしい。結構面白そうね。
-緯度ではなくて、降水量で持っていくアプローチはなんかうまくいかないらしい(by 主査さま)


その後は、群集生態学のアツイお話を聞かせていただきました。大変勉強になりました。ありがとうございます。Mさん、今後のご活躍期待しております。

そ の後の二次会では、中川演習林のNさんとちりちりと大変楽しい哲学話をしました。奥が深い。Nさんが「スッタニパータ」を8回読んで悟りを開いたら、また お話を聞きたいです。「幸せとはなにか」に関してはまだまだ探していかなければならない疑問の一つですね。二次会の最中によくわからない人から電話が残っ てて不気味に思っていたのですが、他の場所で別に二次会してたメンバーからだったようで、残念。

D論発表会1

MさんのD論発表会の内容は河川底生動物の群集の多様性が緯度勾配に沿ってどのようなパタンになっているのか、ということと、そのメカニズムについてでした。
緯度→降水量→群集密度の増加→多様性、というパタンで多様性があるらしい。
次 に、撹乱(降水量)が個体数密度と多様性と関係があることを示し、その関係がギルド間で異なることに注目。ギルドは捕食者、藻類食者、腐植食者の3つ。ベ イジアンネットワークという手法を用いて、緯度と各ギルド間の関係を解析した。解析するときに各ギルドに対する影響として質的影響(密度)と量的影響(種 数)を考慮。このあとに各ギルド間の相互作用の効果を示したスキームで結果を示したが、いまいち腑に落ちない点があった。腑に落ちた点から説明すると、腐 植食者は他のギルドに関係なく緯度パタンを示す。捕食者は腐植食者からのギルド間相互作用なしでは緯度パタンを示さず、捕食者の緯度パタンは腐植食者のボ トムアップ効果によってもたらされる。で、腑に落ちなかったのは、藻類植者に関して。さらっと進んでしまったので、私の見間違えかもしれないが、スキーム では正の関係があったと言ってたように思う。でも、その前のスライドでみた散布図では正の関係はなかったはず。これは、ベイジアンネットワークを用いると 普通の回帰分析と異なる結果になるということなんだろうか?(あとで飲み会で聞いてみよう)。どちらにしても藻類食者の群集における役割がいまいち分から なかった(明らかに私が無知であることが大いに依存しているが)。最後に、この多様性と撹乱の関係性が群集レベルでの密度依存的な競争の有無によって変化 することを示して、先行する理論研究との検証の結果は先行研究にぴったり当てはまるものではなく、「優占種は撹乱によって変化しないが、希少種が撹乱に よって変化した結果、多様性と撹乱のパタンが単峰形を示す」、と結論付けていた。発展としては、これは河川生態系だけでなく、他の生態系にもいえるのでは ないか、ということと共に、ちっちゃなスケールのものを積み重ねていくことで全体のパタンがわかるのではないか的なことで締めくくってました。

全 体の感想としては、とてもよくできたD論だなぁ、と思いました。もちろん発表内容も手法もうまかった。聞いてておもしろかったし、何をしたいのかすごくよ くわかった。質問でも出ていましたが、緯度勾配に着目する必要性はいまいちわからないと思いました。撹乱と降水量の話ですすめて、最後にこの高水量が緯度 勾配に沿っていることから、マクロスケールへの発展を促してもいいのでは、と感じました。たぶんD論で発表したのは、蓄積データの一番マクロな部分だか ら、今後はもっと細かい話が論文ででてくるのだろうと期待です。

あと7日

今日も入れてあと出発まで7日です。
木曜日の深夜に送られてきた7つ書類だせメールの送り主が明日にはofficeに戻ってくるはずなので、午前中は書類作成にいそしんでます。

午後は15:00から他の研究室の先輩MさんのD論発表会。Mさんに出会ったのはかれこれ5年くらい前でしょうか。もともと若く見える顔とはいえ、Mさんかわらな過ぎ!!何はともあれ、学位取得おめでとうございます(まだか?)。

2010年1月24日日曜日

ひきこもり

今日は少しでも大学に行こうと思っていたのですが、ひきこもりに決定しました。というのも、夕方、スーツケースが届く予定なので(言い訳)。

家事をしながら、たまりにたまったメール処理を。家さがしが昨夜決まったのでよかったのですが、同時進行で連絡をとっていた方々にお詫びメールを、そしてなぜか寝ている間に何人かが新しい部屋についてのメールをくれていたので、その返信を。あとは、出発までに終わらせなければならないことをじりじりと進める。来週はD論発表会の週なので、発表会と飲み会であんまり時間が取れない可能性が高いため、取りこぼしがないようにしなければ。。。

今日はWageningen大学で有機農業を専門としている日本人修士学生さんである”みけさん”とメールにてお知り合いになれました。彼女のブログはとても面白く、向こうに行くのが決まってから何度となく読ませていただき、参考にさせてもらいました。向こうでも何人かは日本人がいるようです。お料理会(通称 居酒屋)もたまにあるようで、次回は声をかけてくださるそうです。うれしい(泣)!!

blogを作ってみました

これまでWikiに日記をつけていましたが、東北大の友人Tの勧めでblogに登録してみました。どうぞ、よろしくお願いします。