2010年6月15日火曜日

セミナーのあり方

毎週火曜日午前は講座セミナーである。今日はとても参加者が少なかった。ちょうどフィールドの時期でもあり、今日は天気もいい。だからと言って、教員7名、博士課程以上17名、修士課程9名の計33名の講座で講座セミナ-の参加者が7人にも満たないなんて、誰もおかしいと思わないのだろうか。発表者に失礼だと思わないのだろうか。考えてほしい人は参加していないから、状況がわかっていないのかもしれないが。

講座セミナーについて問いたい。
1.自分の発表さえすれば、ほかの人の発表を聞く必要はないのか。
2.調査や実験は、欠席や途中退席の正当な理由になるのか。
3.教員は気まぐれで参加すればいいのか。
4.一言も発言しない人は何のためにセミナーにでているのか。

学院のシステムが変更され、
この講座には所属の異なる学生・教員が混在して在籍しているため、複雑な状況にあることは否めない。しかし、例えそうであっても、セミナーのあり方や存在意義は明確にすべきだろう。

D1, D2の二年間は講座セミナーとTrendyセミナーの世話役をした。その結果、私が感じたのは以下のことである。

学生主催のTrendyセミナーに関しては、「伝統として続いてきたものだから続けなければならない」、とか、「世話役が回ってきたからやらなければならない」、と思って続けるのであれば、やめてしまえばいい、と思った。学生主催のセミナーや研究会は、他の誰かのためではなく、自分自身が聞きたいから、学びたいから、という動機で行うのがいいのではないだろうか。世話役の2年間の大半は、何とかセミナーをよくしたい、みんなのモチベーションを挙げたい、参加者が少ないと講演者に失礼だ、ということを重視するあまり、セミナーから自分が何を得たいのかということを見失つつあったように思う。しかし、ここ1年くらいは、企画者が楽しめば、講演者も楽しめるし、興味のない発言しない人がいくら参加したところで
セミナーが活性化するわけではない、と考えられるようになった。これを考えられるようになってから企画した今年2月末の合宿式の研究会は、私が今まで参加したセミナーの中で一番印象に残るものとなった。この研究会には、幅広い分野の人が”生態学”というキーワードのつながりだけで集まってくれた。セミナーの情報は広く共有した方がいい。そして、参加は本人の意思で決めるべきだろう。

しかし、講座セミナーは上記のセミナーや研究会とは別ものである。なぜなら、講座セミナーは大学院教育の一環だからである。世話役の学生が数人で頑張ったところで、大半の教員・学生が 作り出している雰囲気を変えることは難しい。オランダに行って気づいたのは、これは世話役の学生が解決できる問題ではない、ということである。オランダの滞在先の研究室セミナーは、院生の研究内容・発表スキルを向上させる場であった。教員が主催者であり、座長であり、学生の研究内容・スキルに対し、教員・他の学生が質問や問題点を議論する場であった。発表者も限られた発表時間内で如何に自分の研究を皆に伝えるか、を考えて準備してきていた。この点から考えると、立場の弱い流動的な学生が世話役をし、セミナーに関する教員の考えがうまく反映されないようなセミナーは、”教育”という観点ではとても脆弱なものに思える。なぜなら、参加者のモチベーションの高さが常にセミナーの雰囲気を作り上げる唯一の要素だからである。

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