2010年6月7日月曜日

岐路

4日金曜から昨日月曜まで連休をとり、石川と東京、つくばに行ってきました。これまでずっと悩んでて、結論を出せずにいたことを片付けてきました。昨日、荒川区役所に離婚届を提出しました。

私は、結婚とか、家族とかいう言葉に対するあこがれが強かったように思う。一緒にいることが心地よすぎて互いに頼りきってしまっていて、いつの間にか自分の足で立てなくなっていた。一度トラブルが起これば、あとは、互いのせいにして、そのまま悪循環へとまっしぐらだったように思う。いつでも軌道修正はできたはずなのに、どこか安心していて、修正しようという努力を怠ってしまっていた。忙しい、なんて理由にならないはずなのに。お互いが自分のことで精一杯で、気持ちを伝えあうことを忘れてしまい、ズレた気持ちがどんどんとずれていってしまった。傷つけあうことが多くなってからは、ますます向き合うことをしなくなってしまった。これ以上傷つけあったはいけないと、お互いに気づいたときには、もう、十分すぎるくらいお互いに傷ついていた。浅はかだったと思う。パートナーを持って、一緒に家族としてやっていくことを甘くみていた。もっと日々の努力しなければいけなかったのに。

ここ二年間は軌道修正を試みていたが、物理的な距離と精神的な距離の両方が大きな壁となっていたように思う。オランダに行く前に決めたことは、私がDへ進むきっかけとなった論文を書いた二人としばらく一緒に研究をして、自分の研究の位置を確かめ、今後のことをどう考えるかをオランダの滞在中に決めようということだった。論文をsubmitすらできないこと、ずっと同じことを繰り返していて、面白さを失い始めていたこと、私生活が上手くいっていないことを抜け出すためには、何か行動をしなければならない、決断をしたい、と思っていた。オランダでの滞在は、今まで短いながらも5年間研究に携わってきた中でもっとも研究の面白さ、奥深さ、そして何をしても研究にしがみ付いていきたいと感じた時だった。正直に言って、オランダに行く前は、もし、ここで、自分に諦めがつけば、博士課程を途中で辞めてでも、東京に行き、軌道修正に全力を注ごうと思っていた。例え、修正できなくても、やれることはなんでもやろうと思っていた。こう書いていると1か0のどちらかしかないのか、中庸をとればいいと言われそうだが、そんなに器用な人ならば、こんな状況にはなっていなかっただろう。今後、どうなるかは分からないし、この先、今回の決断を間違いだったと思う日は来るかもしれない。それでも、先のことは誰にも分からないし、進めるだけ、踏ん張って、前に進みたいと思う。

言い訳がましいことをつらつらと書いたけれども、最後に、これまで私を支えてくれて、これまでの生活の中で感じたことのない幸せを与えてくれた夫に感謝したい。本当にこれまでありがとう。これからは会うどんな人とももっと向き合って互いを尊重し合えるように心がけたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿