2012年6月27日水曜日

論文の読み方 revisited?

最近、帰国してから(ちょっと台湾戻ったりしてたけど)、ゼミなどで周りの学生を観察していて、学生から研究に対する楽しさや面白さを感じられない(感じられにくい)ということをとても残念に思った。そもそも、大半の学生は何かしらの興味を持って大学院に入学してきたはずなのに、せっかくの研究生活で研究に対する面白さを感じられなければ、何のために大学院にきたのか、よく分からないような気がする。もちろん学生によって、事情はそれぞれだと思うが、私はそれが研究そのものに対する理解力の低さ、に起因しているのではないか、と感じている(少なくとも私の周りでは)。だから、他の人の研究発表を聞いていても面白さを理解できないし、自分自身のやっている研究の面白さもよく分からない。研究室内でのPI (指導教官)とのdiscussionや普段のゼミでそれを学べるのが理想的であるが、常にそのような環境が整っているとは限らない。

特に私の知ってるマクロ生態学の分野では、「伝統的な放置プレー」が存在する場合が多く、とりあえず野外に行って、なんとなく気になっているテーマのデータをとって、自分のやってる研究の具体的な立ち位置とかよく分からないままに、さらにデータを取り続ける、という状態の学生が多い(これは私の経験的な話で、どこの研究室にでも当てはまるものではないが)。たまに話す指導教官や先輩からはこのデータも取った方がいいというアドバイスをもらい、またデータを取る、という風に。ここで、一番危険なのはデータ取りは着実に進んでる感じがするので、まるで研究そのものがきちんと進んでるような気になるということ。この状態だと、論文を書くという、いざという時に、まずintroductionを書けない(学振申請書でも)。なぜなら、自分の研究の立ち位置やオリジナリティがよく分かってないからである。もちろん野外での観察とともに時間をかけてそれを身につけていくというスタイルが伝統的なのだが、そのやり方では効率的に成果を上げて(論文を出して)、学振や次のポジション、研究費を獲得するという現在の競争に勝ち残るのは難しいだろう。というか、その前に学位が取れず、6年とか博士課程をすることになることも多々ある。

自分の研究テーマに対し、それが生態学のどのようなbig questionに挑もうとしているのか、このデータからどのような疑問が明らかになるのか、という根本的なものを常に考えておく必要がある。全く自慢にはならないが、私は自分の研究に対して、このような考え方を上手く理解できていなかった(何となく理解してるつもりだったけど、上手く書けなかった)。だから、一本目の論文を書くのに恐ろしいほど時間がかかったし(今も遅いけど)、もしかして、あのままデータだけを取り続けてたらもう研究を続けていなかったかもしれない。じゃあ、今はできてるのか、というとそれも怪しいけど(笑)。ともあれ、私は幸運にもD2の時にオランダの大学に短期滞在する機会を得て、そこでどうやって論文を書くのかをとても建設的に教えてもらうことができた。もちろん、一人で全部できる学生もいて、そんな人から見れば、何を甘えたことを言ってるんだ、と思うかもしれないが、私はすべてオールマイティにできる人だけが研究に関わっていればいいとは思わないし、研究の早い段階で(学生たちが)、研究に対する面白さを理解するための方法を効率的に教わることは重要だと思っている。

では、どうすればいいのか、というと、研究室の環境や指導教官の方針はどう頑張っても簡単に変えられるものではないので、そこを嘆いていても仕方ないため、論文を読む時の姿勢・考え方を知ることで、論文から研究の見方を学ぶということを勧めたい。同じ論文を読むにしても、読むときの心構えが違えば、得られるものは格段に良くなると思う。あとは学会や研究会などの機会に色々な研究者の方と自分の研究について話をして、どこが分かってないかを再確認するのがよいと思う(飲みの席の、どんな研究してるの?というのに、答えるというのが一番勉強になります)。

以下の内容は、以前、とある方がWeb上で公開されていた研究初心者に対する論文の読み方のページから抜粋したものである。著者が一身上の都合で公開を止めたものを、私の文章として公開するならば問題ない、というお許しをいただいたので、ここに公開したいと思う(改訂してくれ、と言われたけど、改訂する部分が見つからなかったのでそのまま載せてます。めんどくさいからじゃないですよ?、笑)。ここでは論文の読み方について着目しているが、結局のところ、研究発表を聞く時も自分が発表する時も同じような考え方が基盤にあると思う。

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論文を読むときに研究初心者が最も注意すべき点、それは、

イントロダクションの読解に全力を注ぐべし

ということ。あるいはこれに尽きると言っても過言ではない(というのは過言かも)。

そもそも研究というのは目的があって始めるものである。では研究の目的とは何か?
よくイントロの最後に「本研究の目的は○○を明らかにすることである(英語だと、The objectives of this study are ○○ など)」と書いてある。

確かに、○○を明らかにしようとした論文であるのは間違いないだろう。でも研究初心者がもっと着目すべき点は、

「なぜこの研究者が○○を明らかにしようと思ったのか?」

ということだ。

よく「あなたの研究の意義は何ですか?」と問われることがある。研究の意義、というのは研究初心者にはなかなか把握するのが難しいが、簡単にいってしまえば、「この研究をやって、我々の自然への理解がどう深まるの?」ということだ。しっかりと目的意識をもって行われた研究の論文なら、こういうこともちゃんとイントロに書いてある。

例えば、
「Xという現象のメカニズムについて、これまでにこんな研究があってこんなことが分かっている。でもこれまでの研究はYという要因を考えてこなかった。しかし○○という理由から、YがXという現象に影響していることが予測される。本研究ではこのような視点からXという現象を明らかにする。」(このような説明の後に、「本研究の目的は・・」と続くことが多い)

この太字のところが特に重要で、このような視点がこの研究者の新しい、オリジナルなものの見方である。この場合だと、いままで見過ごしていたYという側面を考えることで新たな理解に達するかもしれない、未解決の問題がクリアできるかも知れない、ということだ。

こういうことが論文(研究)のオリジナリティーである。

くれぐれも「こういう実験をしてこういう結果が得られた」ということ自体を論文のオリジナリティーと思ってはいけない。 また、「○○という現象がAという種では観察されたがB種ではまだ分かっていないので調べた。」という理屈。レベルの低い雑誌にのる論文にはこういうイン トロを書いている人がいるし、修士論文発表会でもちょくちょく見かける。しかしこのような研究にもオリジナリティーが認められることはない。「これまでに A種で分かっている現象をB種で調べることによって、生物学上のどのような問題の解決につながると予想されるのか」ということを考える必要がある。

さて、イントロで問題設定とそのいきさつがはっきり述べられていれば、「確かにその問題設定はいままでにない新しいもののようだ」とか「そんな問題を明ら かにしても生態学的意義はないんじゃないの?」なんていう判断はある程度は可能である。さらに「じゃあその問題を明らかにするのにどんな実験が必要か? (実験計画が設定した問題に即しているか?)」とか、「結果の解釈は客観的・論理的か?」とかいうようなことを批判的に読んでいくのもさほど難しくはな い。

逆に問題設定のいきさつが理解できていなければ、その後の方法・結果・考察で述べられていることも理解できない。(英語を訳せることと内容の理解は全く別物である)

アブストラクトだけを読んで論文の意義が理解できるようになるまでには相応の知識と経験が必要である。最初の内はなぜこのような問題設定に至ったのかをイントロダクションからしっかり読みとっていくようにしよう。EcologyやEvolutionといった、いわゆる“一流誌”に掲載されるような論文はたいていこういうことがちゃんと書いてある。

逆に言えば、「なぜこのような研究をやったのか」ということがはっきり述べられていないような論文は、だいたいは程度の低い論文であるとみなして間違いない。あるいは自分の知識レベルが低くて問題を設定したいきさつをくみ取れない場合。いずれにしてもその段階ではその論文を読んでも得るところは少ない(研究者本人の問題意識とは別に、その論文のデータそのものから何らかのヒントを得ることはあると思うが)。

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